唯識思想では、深層心の末那識(まなしき)において常に一緒に働く煩悩が四つあるといいます。
その内の我愛(があい)という煩悩は、自我への強いこだわりのことを言います。
心の奥から湧き上がってくるエゴイズムと言えるかもしれません。
自分という固定したものが存在し、その自分を“一番大事なもの”として認識することから、いろいろな悩みや迷いが生じることになります。
もちろん自分の肉体や精神を大切にすることは大事なことだと思います。
心身をおろそかにしたり、投げやり、捨て鉢になったり、または殉教者モードに陥るのはよろしくないと思いますが、「自分だけを大切にする」となると、そこから問題が起きてくるでしょう。
生まれた時から死ぬ時まで、全く誰の世話にもならずに1人だけで生きていくのは出来ないことだと思いますし、お互いに支え合うということが重要な要素だと思います。
しかし自分が支えられることは求めても、支えることはしたくないという意識を持つことが、我愛という煩悩の一つの現れではないかと思います。
さらに外見や社会的ステータス、経済力等を自分を反映するものと思って、執着していくこともまた、我愛を助長することになるでしょう。
やはり自己への執着と言うのも、バランスの問題ではないかと思います。
この3次元の地上の世界で、肉体を持って生きていくためには、エゴというものも必要だと思います。
そうでなければ、飛んで行ってしまい、地上に定着することはできないでしょう。
しかしエゴにも“健全なエゴ”と“物質や権力、自分自身への強い執着をもつエゴ”とがあります。
健全なエゴは地に足付けて生きていくのに必要なものですが、権力や自分への強いこだわりというのは、自分自身を3次元の世界に留めてしまい、それ以上の次元へのアセンションというものを、阻む(はばむ)ことになってしまうでしょう。
ですが、末那識の四つの煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)は、心の深層から湧き上がってくるものですし、普段、無意識的に反応しているものであるからこそ、難敵であると言えますね。
四つの煩悩についてしっかりと認識していくことが、重要だろうと思います。
四つの煩悩が生まれる経緯を見てみると、「それ自体で存在する実体と呼べるものはない」という“実相”について知らないということが「我癡(がち)」と言われる煩悩でした。
そしてその我癡から、自分は実体として存在すると見る「我見(がけん)」が生まれ、さらに自分に対する驕り(おごり)の心が湧いてくる「我慢(がまん)」という煩悩が起き、そして自我への強い執着である「我愛(があい)」が起きるということになりますね。
唯識思想は人間の心というものを深く洞察していく素晴らしい叡智であり、実践だと思います。
2017/08/20
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