みなさんおはようございます(*^_^*)
今日は「復活祭」(イースター)ですね☆
イエス・キリストは磔(はりつけ)の刑で亡くなってから3日目に復活して、弟子たちの前に姿を現されました。
その日の朝にマグダラのマリアがイエスの墓に行ったときには、もう遺体はなかったんですね。
遺体が消えたわけですが、これこそ肉体ごとのアセンションを意味すると思います。
最高のアセンションの形をイエスは示して下さっていると思います。
そして復活を通して私たちに“魂は不滅である”ということも教えて下さっていると感じます。
肉体は滅びても、魂は滅びないということを、死後に復活し弟子たちの前に現れて実際に言葉をかけたり、共に食事をすることを通して教えて下さっているのではないでしょうか。
イエスは弟子たちに対して、人々に福音を伝えることや赦しを与えるようにと言われました。
そこから弟子たちの布教・伝道が始まるわけです。
もし、イエスが復活して弟子たちにメッセージを伝えるということが無かったとしたら、弟子たちもイエスのように捕えられて処罰されるのではないかという恐れで、身を隠して生きていくことになったかもしれません。
イエスの復活は、弟子たちにとってイエスの愛や優しさ、そしてその偉大な教えを人々に伝えていくという使命を思い起こさせたということが言えるでしょう。
弟子の生命もまさに復活したわけです。
「死者の中から復活する」という言葉の中に、大いに希望を見出すことができると思います。
死者というと一般的にあまり良いイメージはないかもしれません。
またそれは亡くなった人間のことをいうだけではなく、葬られたもの、暗い所に陥ったもの、もっと大まかに言えばネガティブなもの、という意味でもとらえることができるかもしれません。
それら死者の中から復活するということは、闇の中に光が存在する、希望が存在するということを意味するのではないでしょうか。
ネガティブなものもポジティブなものに転換できるということでもあるでしょう。
それはまるで泥の中から綺麗な蓮の花が咲くように、イエスは復活されたわけです。
そう考えると、死者の中にも、そしてネガティブなものの中にも“神聖なもの“が備わっているといえるのではないでしょうか。
また死者を目に見えるもの、有限のもの、物質的なものというふうに捉えると、復活は目に見えないもの、無限のもの、精神的なものと考えることができるでしょう。
魂や愛、弟子たちに降り注がれた聖霊、宇宙の真理・・・目には見えなくとも大切なものがあるということを「死者の中から復活する」という言葉の中に読み取ることができます。
復活の機会は常にあるということをイエスは私たちに諭して(さとして)下さっているように思います。
約2,000年前に地上に現れて、人類のカルマを背負って解放して下さった偉大なマスターを尊敬します。
皆さま、どうぞ素敵な日曜日をお過ごしください(^