『ハデス(冥界)が歓迎する魂とは?』
みなさんこんばんは(^^)
明日は節分ですね。豆まきで邪を払うもいいですし、今年の恵方である“南南東”の方角にある神社仏閣をお参りする「恵方参り」も良いですね(^_-)-☆
ところで、今日も『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)を参考にしながら古代ギリシャの叡智をお伝えしたいと思います☆
ソクラテスは言います。肉体的なものにとらわれた魂は、目に見えないものやハデス(冥界)を恐れ、彼らは生前自分たちが実践してきたような性格の中へ入り込む、と。
例えば大食や好色、酒びたりの生活にひたり、これらを避けるための努力をしなかった人や、不正、独裁政治、掠奪(りゃくだつ)を好んで選んだ人たちは、彼らにふさわしいところに入っていく、ということですね。
一方で、幸福な人たち、最善の場所へ行く人たちは、「市民の公共の徳を実践してきた人たち」と言っています。
それは、思慮とか正義とかよばれている徳です。
これらの人たちは公共的で温和な中に再び生まれるということですね。
しかし神々の種族の仲間に入るのは、また違った人たちだと言います。
それは、哲学をした人、まったく清らかになって立ち去る人、学を愛する人であると。
本当の哲学者はすべての肉体的な欲望を避け、忍耐し、自分自身を欲望に委ねることをしないということですね。
お釈迦様やイエス様などの偉大なマスター達は、肉体的な欲望をしりぞけて、忍耐強くご自分の愛と叡智を分かち合っていかれました。
すばらしい哲学者ですね☆
それでは次回は、魂が受け取る恩恵と、魂が蒙る(こうむる)究極の悪とについてお伝えしたいと思います。
今日も読んでくださいまして、ありがとうございました(^
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