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Posted by おてもやん at
こんばんは(^.^)/

今日は『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)の自殺禁止論の部分よりソクラテスの考えをご紹介したいと思います。

尚、この作品はソクラテスが服毒による刑死を控え、獄中で弟子たちと哲学的対話をするものです。






〈P24,2行目~〉

【ソクラテス】秘教の教義の中で語られている根拠があるのだが、われわれ人間はある牢獄の中にいて、そこから自分自身を解放して逃げ出してはならないのである。これは、僕には、なにか高邁(こうまい)な、容易にはその真意を見抜けない思想のように思われる。
それにもかかわらず、少なくともこのことは、ケべス、僕には正しく語られていると思われる。すなわち、神々はわれわれ人間を配慮するものであり、われわれ人間は神々の所有物(奴隷)の一つである、と。君にはそうだと思われないかね

【ケべス】そうだと思います

【ソクラテス】それなら、君にしたって、君の所有物の一つが、君がそれの死を望むという意思表示もしていないのに、自分自身を殺すとすれば、それに対して腹を立て、もしなにか処罰の手段をもっていれば、処罰するだろう?

【ケべス】まったくです。

【ソクラテス】では、その意味では、おそらく、現にわれわれの眼前にあるような何らかの必然を神が送りたもうまでは、自分自身を殺してはいけない、ということは、根拠のないことでない。




ソクラテスが死後の世界の印象を語っています。《P26,12行目~》

【ソクラテス】シミアスにケべス、もしも僕が、第一に、この世を支配する神々とは別の賢くて善い神々のもとにこれから行くだろうということ、第二に、この世の人々よりはより優れた死んだ人々のもとにも行くだろうということ、これらのことを信じていなかったとすれば、僕は、死に対して憤慨しなければ、不正を犯したことになるだろう。
だが、事実はどうかといえば、よく承知しておいてもらいたいのだが、僕は善い人々のもとへ行くだろう、という希望をもっているのだ。もっとも、この点は僕はあまり強く断言するつもりはないが。
しかし、非常に善い主人である神々のもとに行くだろう、という点は、なにかこの種のことで他に僕が断言するかもしれないことがあるとすれば、これこそがそれだ、ということをよく承知してもらいたい。〈中略〉僕は、死者たちには何かが有る、という善い希望をもっている。
しかも、古い言い伝えにあるように、悪い人々にとってよりは、善い人々にとっては遥かに善い何かが待っているのだ、と






人間は神の所有物であるから、神が私たちにあの世に旅立つ必然を与えるまでは自ら殺すようなことをしてはいけない、とソクラテスは言っていますね。

私たちは地上に転生してくる際には、素晴らしい人生を送ることを思って降り立ってくるのではないでしょうか。

生まれたばかりの赤ちゃんが、自殺することを考えているとは思えません。

しかし成長してくるに従って、困難なことに遭遇し自殺という結果になってしまうことがあります。

神はご自分の創造物である私たちが、自分自身を殺すということを望んではいらっしゃらないでしょう。

この地球は魂のレッスン、修養の場といわれています。

肉体という不自由なものを身に着け、DNAも本来の状態とは著しく異なる不活性な状態で使っているわけですが、そういうなかで物事を顕現していく、感情を味わう、愛を分かち合う、宇宙の叡智やスピリットとつながり現実世界に活かしていくということをやってのけようと思って冒険の旅に出ているわけですから、私たちはなんと勇敢な魂なのでしょう!!

神からすればその愛すべき勇敢な魂が自分を殺すということは、とても悲しまれるのではないかと思います。

そしてまた、ソクラテスはあの世にとても明るい展望を抱いていますね☆

善い人々や善い神々と出会える喜び、はやくあの世に行きたいという感じです。

そこでシミアスとケべスがその考えをさらに深く説明してくれるよう要請します。

続きをお楽しみに☆
  


Posted by スターエンジェル at 21:40Comments(0)『パイドン』☆ソクラテスとの対話