おてもやんTOPへおてもやんトップへ
おて姫からのお知らせ
今すぐブロガーになろう!メンバー登録はこちら

スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  

Posted by おてもやん at


桜の花も見ごろになり、美しい季節を迎えておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、4月の地球の雰囲気をお伝えしたいと思います。





4月の半ばは、しっかりとグラウンディングをして決断することがしやすくなる時期です。
星からのサポートがありますので、落ち着いて考えて一つひとつ取り組んでいくといいですね。
グラウンディングしていないと、自分の人生をコントロールできていないという感覚に陥る可能性があります。
周りの状況により人生が左右されてしまうことにもなりかねませんので、地に足つけることを意識することはとても重要な事ですね。



4月の30日から水星が逆行を始めます。
これは5月21日まで続きます。
水星は元々動きの速い惑星ですが(太陽の周りを約88日間で一周します)、その水星がこの時、その速い動きで逆の方向に進むように見えるわけですから、翻弄されてしまいますね。
水星以外の惑星でも逆行は起きるのですが、水星は特に注意が必要です。
この時期は契約など重要な事は慎重に進めて言った方が無難でしょう。



4月7日には牡羊座の新月を迎えます。
変化・変容が促される時です。
揺り動かされる時こそ、しっかり考えて動いていく時です。
この新月は決断する力を強くしてくれます。
自分の足元がぐらつきそうになった時こそ、このしっかり考えて決断するという力を発揮する時です。

またこの新月は自分を信じて自分の足で立っていくことをサポートしてくれるでしょう。
なりたい自分をイメージして、そのために必要な行動を一つずつ起こしていくことは素晴らしいことですね。



4月22日はさそり座の満月となります。
この満月は解体と構築、新しく創り出すというエネルギーを送ってくれるでしょう。
他者と協働していくことにもサポートがあるでしょう。
ソウルメイトや物質的な安定を求める気持ちが強くなるかもしれません。
自分が生まれもった才能や資質、家系の特長的な力を意識して使っていくことで、創造もしやすくなると思います。

またこの時期にひたむきに自分の使命と思うことに取り組んでいくこと、堅実に奉仕していくことが後々、社会的な評価を得ることにつながると思いますので、焦らない方がよいでしょう。


皆様にとって、素晴らしい新年度の始まりとなりますように☆

  


Posted by スターエンジェル at 20:10Comments(0)今月の地球の雰囲気

2016年03月27日

『 復活祭 』

みなさんおはようございます(*^_^*)
今日は「復活祭」(イースター)ですね☆

イエス・キリストは磔(はりつけ)の刑で亡くなってから3日目に復活して、弟子たちの前に姿を現されました。
その日の朝にマグダラのマリアがイエスの墓に行ったときには、もう遺体はなかったんですね。

遺体が消えたわけですが、これこそ肉体ごとのアセンションを意味すると思います。
最高のアセンションの形をイエスは示して下さっていると思います。

そして復活を通して私たちに“魂は不滅である”ということも教えて下さっていると感じます。
肉体は滅びても、魂は滅びないということを、死後に復活し弟子たちの前に現れて実際に言葉をかけたり、共に食事をすることを通して教えて下さっているのではないでしょうか。


イエスは弟子たちに対して、人々に福音を伝えることや赦しを与えるようにと言われました。
そこから弟子たちの布教・伝道が始まるわけです。
もし、イエスが復活して弟子たちにメッセージを伝えるということが無かったとしたら、弟子たちもイエスのように捕えられて処罰されるのではないかという恐れで、身を隠して生きていくことになったかもしれません。
イエスの復活は、弟子たちにとってイエスの愛や優しさ、そしてその偉大な教えを人々に伝えていくという使命を思い起こさせたということが言えるでしょう。
弟子の生命もまさに復活したわけです。




「死者の中から復活する」という言葉の中に、大いに希望を見出すことができると思います。
死者というと一般的にあまり良いイメージはないかもしれません。
またそれは亡くなった人間のことをいうだけではなく、葬られたもの、暗い所に陥ったもの、もっと大まかに言えばネガティブなもの、という意味でもとらえることができるかもしれません。

それら死者の中から復活するということは、闇の中に光が存在する、希望が存在するということを意味するのではないでしょうか。
ネガティブなものもポジティブなものに転換できるということでもあるでしょう。
それはまるで泥の中から綺麗な蓮の花が咲くように、イエスは復活されたわけです。
そう考えると、死者の中にも、そしてネガティブなものの中にも“神聖なもの“が備わっているといえるのではないでしょうか。


また死者を目に見えるもの、有限のもの、物質的なものというふうに捉えると、復活は目に見えないもの、無限のもの、精神的なものと考えることができるでしょう。
魂や愛、弟子たちに降り注がれた聖霊、宇宙の真理・・・目には見えなくとも大切なものがあるということを「死者の中から復活する」という言葉の中に読み取ることができます。

復活の機会は常にあるということをイエスは私たちに諭して(さとして)下さっているように思います。
約2,000年前に地上に現れて、人類のカルマを背負って解放して下さった偉大なマスターを尊敬します。

皆さま、どうぞ素敵な日曜日をお過ごしください(^<^)

  


Posted by スターエンジェル at 10:02Comments(0)ブログ


みなさんこんばんは(*^_^*)
今夜は満月ですね☆
ワクワクすることを探究していく部分と、慎重に現実問題を処理していく部分とで自分の中にバランスをとっていくでしょう。


3月20日の春分の門を通り新たな春夏秋冬のサイクルが始まりましたが、この満月のエネルギーで今までの考え方、見方、感じ方とは違った方向性を追求していくことになるかもしれません。
突拍子もない考えということではなく、きちんと肉体をもった人間として現実の世界に生きながらも、考え方が変わるということです。
それは今よりもっと自然なとらえ方かもしれません。
シンプルなものは奥が深いものです。

目に見えるものや常識などでこれは本当に重要なものではないと感じるものが出てくるにつれて、より本質的な部分がはっきりとしてくるでしょう。
本質のまわりを飾っているものを削っていくという感じかもしれません。
またヒーリングや福祉、聖なるものへの奉仕などへの意欲も高まるでしょう。


美しい満月をお楽しみください♪
月をみて旅に出たくなったら、もしかすると大天使ハニエルが誘ってくれているのかもしれませんね(^_-)-☆



  


Posted by スターエンジェル at 19:34Comments(0)満月のサポート


今日は春分の日ですね☆
春分・夏至・秋分・冬至の時期はパワフルです!

この春分では、こうありたいという自分像を確立し、それに向かって進んでいくことを後押ししてくれるエネルギーが流れます。

自分自身を否定するもの、傷つけるものは何でしょう?
どのような他人の言動に敏感でしょうか?
自分を護りたくなるのはどんな時ですか?
もちろん危険からは身を護る必要がありますが、必要以上に自分を弁護したり、他人に反発したりしていないかということを、見つめてみるのも素晴らしいですね☆
どうしてそう考えるようになったのか、タイムマシーンで時間をさかのぼりながら原因を突き止めていくこともできます。
はっきりした原因の見当がついてもつかなくても、今の自分が感情において余分なエネルギーを使っていると思ったら、節約していくことはできますね。


このみずがめ座の時代は本当に素晴らしい時代だと思います。
生まれてきてからの自分の人生、さらに過去生も含めた魂の経験をも統合できる時代を迎えていると思います。
統合が進むにつれて自分らしさが際立ってくるでしょう。
それは数々のアセンデッドマスターをみてみるとよく分かります。
みなさん個性が際立っていますね!
自分の礎(いしずえ)を確立していくこと、これをこの春分のエネルギーはサポートしてくれるでしょう。
芸術やヒーリングにおいても関心が高まるかもしれませんね♪






ところで、春分の日はお彼岸の中日でもあるわけですね。
「彼岸」とは本来、修行をして悟りの世界に至るということを意味すると言います。
我々が普段暮らしている煩悩(ぼんのう)に満ちた世界を「此岸」(しがん)と言います。
この岸(此岸)から、かの岸(彼岸)へと渡ることは人間の願いであるわけですが、それはアセンションの階段を一段一段昇っていくこと、とも言えるでしょう。
神仏にお祈りしたり、ご先祖様を供養したり、自然に感謝したりということをするのも素晴らしいことですね。
アセンションしていくための目に見えない導きが得られる事でしょう。


どうぞ素晴らしい春分の日をお過ごしください☆


  


Posted by スターエンジェル at 09:49Comments(0)星空観測

みなさんこんばんは(^.^)
温かかったり寒かったりと忙しい気候ですが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日も『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)よりソクラテスの考え方をご紹介したいと思います。


ソクラテスは自然学の研究に対して期待を抱いていたという話が出てきます。
『それは例えば大地が平たいかまるいかを告げてくれるだろう、そしてそのことの原因と必然性を詳しく説明してくれるだろう。
さらにまた、太陽についても月についてもその他の星々についても、それらの運行についてやその他の諸現象についてこれらの作用をなしたり他からこうむったりすることが、いったいどういう意味でより善いのかを学べるものとね』(同書P125)

ソクラテスは何が最高最善であるかを考えること以外に、私たちにとってふさわしいことは何一つないと本書の中で言っていますが、自然学の研究は各々のものごとの原因と万物に共通の原因とを探究していくことで、それらに共通の善または理性(ヌース)による秩序を見出すことができるだろうと期待していたようです。

しかしある研究者の理論ではいろいろなものごとの原因を物質的なものによる説明だけで終わってしまっているので落胆したということを言っています。

その具体的な例を以下にご紹介しましょう。(同書P126~127)
『(その人の理論で言うと)いまここに(刑務所に)僕が座っていることの原因についていえばこんなことになる。
僕の身体は骨と腱から形作られており、骨は固くて相互に分離していながら関節でつながっている。
腱は伸び縮みできて、肉や皮膚とともに骨をつつみ、皮膚がこれらすべてのものを一つのものにまとめている。
そこで、骨は関節の中で自由に揺れ動くのだから、腱が伸びたり縮んだりすることによって、僕はいま脚を折り曲げることができるのであり、この原因によって僕はここで脚を折り曲げて座っているのである、と』


『 だが、本当の原因とは次のことである。
アテナイ人たちが僕に有罪の判決をくだすことをより善いと思ったこと、それゆえに僕もまたここに座っているのをより善いと思ったこと、そして、かれらがどんな刑罰を命ずるにせよ留まってそれを受けるのがより正しいと思ったこと、このことなのである 』
(ソクラテスは国家が信じる神々と異なる神を信じ、若者たちを誤った方向に導いたとして裁判にかけられ死刑が確定していました)


ものごとの原因を見る時に、その手段や現象(ここでは骨や腱などのこと)について説明をしてもそれでは原因の探究になっていないということですね。
ソクラテスは理性によって行動しているのですから、その理性について探究したいわけですが、それが現象の説明で終わってしまうと、まるで現象が原因であるかのような話になってしまうわけですね。

万物は可能な限り最善であるように配置されていて、このことを可能にした力を求めること、またその力の神秘的な強さについて考えるということをソクラテスは望んでいましたので、当時の自然学の理論には納得できなかったということでしょう。



私はこの“原因を探究する目的”についての話を読んで、これはいろいろな分野において応用できるとらえ方ではないかと思いました。
それは占星術についても同じようなことが言えるのではないかと思います。

占星術は人間にとって善となるための道具であると私は考えています。
自分の才能や美徳、力を知り、それらをより発揮していくことができるように星たちが促してくれる道具だと思っています。
ひとり一人星回りは違います。
どのような星回りを持って生まれてきたか(出生ホロスコープ)、過去・現在・未来の星回りと出生ホロスコープとの兼ね合い、などを観ていきますが、その星回りがどういう意味で“より善いのか”を観ていくということが大切だろうと思っています。
一人一人に与えられた星回りが、その方にとって最善なんだと考えて、その星回りの意味を探究していくことができるわけですね。
そこに理性(ヌース)の秩序というものを見出していくことができるということだと思います。

しかし、せっかく星を読んでもクライアントの人生で起きた現象の指摘で終わったり、占星術的技法の追究自体が喜びや目的となってしまうと、なぜその星回りがその方にとって必要なのかということや、クライアントの人生の出来事の意味を探究するという大事なことを忘れてしまうことになりかねません。
星を読むことが、クライアントの力と自信を増強するような機会とならなければ意味がないかもしれません。




自然科学によって様々な物理的法則が明らかにされ、広大な宇宙の話からニュートリノなどのミクロの世界まで人類の理解は深まってきました。
それは本当に素晴らしいことですね。
ソクラテスが言いたかったことは、ものごとが起こる法則や仕組みを考えることは素晴らしいけれども、目に見えない領域といいますか、宇宙の秩序であったり、天の配剤ということを法則や仕組みの先に見据えて(みすえて)考えてみるということが大切だということではないかと思います。

ちょっとややこしい話になりましたが(笑)、今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます(*^_^*)
皆さまが天使やマスター、星たちの祝福と共にありますように☆



  


Posted by スターエンジェル at 20:51Comments(0)『パイドン』☆ソクラテスとの対話


みなさんこんばんは☆
東日本大震災から丸5年が経ちましたね。
犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りします。


今日は『パイドン』(プラトン著・岩田靖夫訳・岩波書店)の中からソクラテスの弟子であるシミアスの反論の部分を取り上げたいと思います。(同書P92~)

ソクラテスの“魂は肉体が存在する以前から存在しているものであり、不滅である”との考えに対して、シミアスが反論します。
それは、魂とは竪琴や弦から生み出される和音と同じような「調和的なもの」ではないかと。
ひとたび竪琴が壊れたり、弦が切れたりしたならば、和音(調和)も滅びてしまうので、人間においても肉体が滅びたら魂も一緒に滅びるのではないかという反論です。

それに対してソクラテスが答えます。
魂が調和であるならば、魂を作っている要素(人間であれば肉体な構成要素、和音であれば竪琴や弦)には決して反対することはできずに、魂はそれらの要素に随って(したがって)いくことになるだろう。

しかし魂は肉体に随うものではないことをホメロスの詩を引用して説明しています。
(同書P117~)
「彼は胸を打ち、自分の心をこう言って叱った
 耐え忍べ、わが心よ、お前は昔もっと恥ずかしいことに耐えたではないか」

魂は肉体のいろいろな要素や状態に引きずり回されるものではなく、反対に引きずり回すものであり、要素や状態の主人となるものであり、調和というような在り方のものよりは、はるかに神的ななにものかである、と。

たとえば肉体の中に熱と乾きがある時に、魂は反対の方へ、つまり、飲まない方へと引っ張るのであり、飢えが内在する時には、食べない方へと引っ張るのであるとも言っています。

これは何も過酷な修行を勧めているわけでも、自殺を勧めているわけでもありませんね。
肉体の欲望に引きずり回されるのではなく、魂が肉体を支配するのであり、魂にとって正しいことのためには肉体からの要望とは反対のことをする必要もあるということでしょう。


ソクラテスの説明にシミアスも同意しました。
シミアスの理論の“魂は調和的なものである”という前提が見直されたと言えますね。


魂が肉体と共に滅びるのでないということは、先の大震災でお亡くなりになったたくさん
の方々の魂や動物たちの魂も存在し続けているということになります。
たくさんの魂が今生きている私たちを見守ってくれていると思います。
ご冥福をお祈りするとともに、今、そしてこれからの自分自身の生き方について改めて見つめてみたいと思います。

今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございましたm(__)m
すべての魂が宇宙の恵みと共にあることを祈ります☆



  


Posted by スターエンジェル at 20:54Comments(0)『パイドン』☆ソクラテスとの対話

みなさんこんばんは(^.^)
3月9日の新月は日食でもあるんですね。
日本では部分日食が見られるそうです。
午前10時~12時の時間帯です。
各地の部分日食が見られる詳しい時間帯は、国立天文台のサイトをご参照ください 。



この地上に生まれてきたことが大いなる天の采配です。
宇宙といっても神といってもいいのですが、大いなる力によって護られています。
天は私たちひとり一人に何を与えようとしているのでしょうか。
何を学ぶことができるのでしょうか。
内なる声に耳を傾けることでこの新月は私たちを力強くサポートしてくれるでしょう。


学んだことを教える。
そしてさらに広い世界へと飛び立つこともサポートしてくれます。
ご自身が目指す方向は見えていますか。
時に様々な思考が邪魔をすることがあるかもしれません。
真理とは何でしょう。
歴史を振り返ってみれば真理に生きた人物も、また道から逸れた生き方をした人物も見えてくるでしょう。
真理を探究することは時に孤独かもしれません。
しかしその道を歩かねばならない時があります。
あなたはもう既にその時期が来ているかもしれません。
たとえ目には見えなくとも多くのガイドスピリットたちの助けがあります。
ご自身の真理を探究し、直感と叡智を組み合わせる素晴らしいエネルギーをうお座の新月は与えてくれます。
さらに日蝕ですから、エネルギーはいつにも増して強力となります☆

素敵な日食の日をお過ごしください♪
天使とマスターの祝福と共にありますように(*^_^*)


  


Posted by スターエンジェル at 20:47Comments(0)新月のサポート


みなさんおはようございます(^_^)
何だか急に暖かくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今日は『パイドン』(プラトン著・岩田靖夫訳・岩波書店)の中から人間嫌いと言論嫌いについてご紹介したいと思います。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスが人間嫌いについて語っています。
人が人間嫌いになるのは、ある人を盲目的に信じ、信頼できる人物だと考えた後に、しばらく経ってからその人の性格が悪く信頼できないことに気付くからだと。
そして他の人との間においてもまた同じような体験をして、それを繰り返すと、とりわけ最も親しいと考えていた人との間でそのような仕打ちを受けると遂には怒りが爆発してすべての人を憎むようになり、健全な人間などいないと考えるようになるといいます。
両親や兄弟、子供、パートナー、親友や教師、職場の上司・同僚・部下、聖職者etc…..人間でつまずくということがありますね。


しかしソクラテスは言います。(同書P103~)
人間嫌いになるのは、人間的な事柄についての心得(こころえ)もなしに人々と付き合おうとしたためだと。
もしも心得をもって人々と付き合ったのなら、非常な善人も非常な悪人も共にごく少数で、大部分の人はその中間にある、ということを考えられただろうと。


私たちは善悪の両端を意識してしまいがちですが、最高の善と最低の悪だけが存在するのではなく、むしろその中間の善も悪も混在しているグラデーションのような領域こそが多くの場合当てはまるということでしょう。
そうすると、完全に正しい人も、完全に間違った人もいないと考える方が適切だということになりますね。
完全に正しいと信じていた相手にちょっと違う面が見えてくることでショックを受けるわけですから、人を完全に正しいと盲信することは危険をはらんでいると言えるでしょう。




そこでソクラテスは言論嫌いについても語ります。
言論嫌いもある面で人間嫌いに似ていると言います。
それはある言論を真実であると信じ込み、しかしその後それを偽りであると思うような時に言論嫌いは起こります。
そういう経験が繰り返されるにつれて言論嫌いは人間嫌いと似てくるわけですね。
この言論嫌いも言論についての心得を持っていなかったために起きるものだと言います。
その心得とは、私たちは言論についての充分な知識を持っていないという考え方のことなんですね。
先ずはこの考えを受け容れるようにしていくことが大切ということですね。
そして健全な言論、真理や知識であるように努力していかなければならないということです。
それは知を愛するという哲学の意味そのものでもあるでしょう。


ソクラテスは弟子たちにこう言っています。(同書P107)
「もしも僕がなにか真実を語っていると思われるならば、同意してくれたまえ。もしそう思われなければ、あらゆる議論を用いて、それに抵抗してくれたまえ」

ソクラテスほどの哲学者がこのような事を言うのもなんだか謙遜しているように思えますが、この言葉は本気で語られた言葉であろうと思います。
なぜならソクラテスが求めるのは、自分の評判や名誉ではなくて、真理が探究されることでしょうから。
弟子にも真理を探究する姿勢を持ち続けてほしいというのが、知を愛するソクラテスが最も望むことだろうと思います。
そのためにどのような信頼できる存在また権威ある存在から出た言葉であっても、鵜呑み(うのみ)にしてはいけないという警告を弟子たちにしているわけですね。
自分で本当にそれは真実かどうか考えてみること、感じてみることが大切だということでしょう。


人間嫌いにも言論嫌いにも「心得」の有無が関わっていますね。
今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました(*^_^*)

  


Posted by スターエンジェル at 09:44Comments(0)『パイドン』☆ソクラテスとの対話