『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)より霊魂の不滅の証明についてのギリシャの哲学者ソクラテスの考えをご紹介したいと思います。
尚、この作品はソクラテスが服毒による刑死を控え、獄中で弟子たち(シミアスとケベス)と哲学的対話をするものです。

《P52~》
ソクラテス それでは、今度は、生と死に関する二つの生成過程についてだが、そのうちの一方は明白ではないかね。 なぜなら、死ぬということは多分明白だから。 そうではないか
ケベス はい、まったくです
ソクラテス では、どうしたものだろうか。死ぬということに対して反対の生成過程を補わずに、この点に関して自然は不均衡だとしておこうか。 それとも、死ぬことに対して、われわれはなにか反対の生成過程を補うべきだろうか
ケベス どうしても補うべきです
ソクラテス どんな生成過程を、か
ケベス 生きかえることです
ソクラテス それなら、生きかえるということがあるからには、それは死者から生者への生成過程であり、それが生きかえりなのだろう
ケベス まったく、そうです
ソクラテス それでは、この点からも、われわれは同意したのだ。死者が生者から生ずるのと同じように、生者は死者から生ずるのである、と。
ところで、こういう事情であれば、それは、死者たちの魂がどこかに存在していて、そこから再び生まれてくるはずだ、ということの充分な証明になる、と先ほどわれわれは考えたのだね
ケベス すでに同意されたことからすれば、ソクラテス、この結論は必然である、と私には思われます
ソクラテス さあ、ケベス、われわれが同意したのは間違ってはいなかった、と僕には思われるのだが、その点を次のようにして見てみたまえ。
もしも、一方の生成が、ちょうど円環をなしてめぐるように、他方の生成をつねに補うのではなく、かえって、生成が一方からその正反対のものへのみ向かうなにか直線的なものであって、再び元へ戻ることもなければ向きを変えることもないとすれば、万物は最後には同じ形をもち、同じ状態となって、生成することを止めてしまうだろう、わかるかね
ケベス どういう意味ですか
ソクラテス なにも難しいことではない。僕の言っていることを理解するのは。 たとえば、もしも一方に眠りに入ることがあるのに、他方に眠りの状態から目覚めるという逆の過程が生じて対応していないとすれば、どうか。君にもわかるだろう。
【中略】
同じようにして、親愛なるケベス、もしも生を受けたものがすべて死んでゆき、ひとたび死んだならば、死者はその状態に留まって再び生き返らないとするならば、最後には万物が死んで、生きているものはなにもない、ということになるのは大いなる必然ではないか。
というのは、もしも生者が死者とは別のものから生じ、生者は死ぬとすれば、万物は消費し尽くされて死にいたることを、なにか防ぐ手段があるだろうか
ケベス ソクラテス、なに一つあるとは思えません。 あなたの言っていることはまったく真実だと思います
ソクラテス そうだ、ケベス、僕が思うには、なににもましてその通りなのだ。そして、われわれは欺かれて正にこれらのことに同意しているのではない。生き返るということも、死者たちの生者が死者から生まれるということも、死者たちの魂が存在するということも、本当に有ることなのだ
☆★☆★☆
たしかに死者と生者が循環していなかったら、死者が増えていくに従って生者は減っていき、ついには誰もいなくなるという状態になりそうですね。
死者と生者の関係については、私は夜空のお月さんが私たちに教えてくれているように思います。
つまり、月は満月の時は美しく輝き最も大きくなっていますが、次第に欠けていき、新月では姿が見えなくなりますね。
しかしそれで消えてしまったのではなく、また少しずつ姿を大きくしていきます。
月を魂と考えると死者と生者が新月と満月のように思えます。
新月で月の姿が見えなくとも、月自体がなくなってしまうわけではありませんね。
それと同じように、人間の肉体は死という状態になっても、魂は消えてしまわずに存在していて、その魂がまた新たな肉体に宿って生者として地上に現れるということだろうと思います。
魂が存在し続けているからこそ、何度も生まれ変わってはさまざまな経験を積むことができますね☆
次回は「想起説」のお話が出てきます♪ お楽しみに(^_-)-☆
尚、この作品はソクラテスが服毒による刑死を控え、獄中で弟子たち(シミアスとケベス)と哲学的対話をするものです。

《P52~》
ソクラテス それでは、今度は、生と死に関する二つの生成過程についてだが、そのうちの一方は明白ではないかね。 なぜなら、死ぬということは多分明白だから。 そうではないか
ケベス はい、まったくです
ソクラテス では、どうしたものだろうか。死ぬということに対して反対の生成過程を補わずに、この点に関して自然は不均衡だとしておこうか。 それとも、死ぬことに対して、われわれはなにか反対の生成過程を補うべきだろうか
ケベス どうしても補うべきです
ソクラテス どんな生成過程を、か
ケベス 生きかえることです
ソクラテス それなら、生きかえるということがあるからには、それは死者から生者への生成過程であり、それが生きかえりなのだろう
ケベス まったく、そうです
ソクラテス それでは、この点からも、われわれは同意したのだ。死者が生者から生ずるのと同じように、生者は死者から生ずるのである、と。
ところで、こういう事情であれば、それは、死者たちの魂がどこかに存在していて、そこから再び生まれてくるはずだ、ということの充分な証明になる、と先ほどわれわれは考えたのだね
ケベス すでに同意されたことからすれば、ソクラテス、この結論は必然である、と私には思われます
ソクラテス さあ、ケベス、われわれが同意したのは間違ってはいなかった、と僕には思われるのだが、その点を次のようにして見てみたまえ。
もしも、一方の生成が、ちょうど円環をなしてめぐるように、他方の生成をつねに補うのではなく、かえって、生成が一方からその正反対のものへのみ向かうなにか直線的なものであって、再び元へ戻ることもなければ向きを変えることもないとすれば、万物は最後には同じ形をもち、同じ状態となって、生成することを止めてしまうだろう、わかるかね
ケベス どういう意味ですか
ソクラテス なにも難しいことではない。僕の言っていることを理解するのは。 たとえば、もしも一方に眠りに入ることがあるのに、他方に眠りの状態から目覚めるという逆の過程が生じて対応していないとすれば、どうか。君にもわかるだろう。
【中略】
同じようにして、親愛なるケベス、もしも生を受けたものがすべて死んでゆき、ひとたび死んだならば、死者はその状態に留まって再び生き返らないとするならば、最後には万物が死んで、生きているものはなにもない、ということになるのは大いなる必然ではないか。
というのは、もしも生者が死者とは別のものから生じ、生者は死ぬとすれば、万物は消費し尽くされて死にいたることを、なにか防ぐ手段があるだろうか
ケベス ソクラテス、なに一つあるとは思えません。 あなたの言っていることはまったく真実だと思います
ソクラテス そうだ、ケベス、僕が思うには、なににもましてその通りなのだ。そして、われわれは欺かれて正にこれらのことに同意しているのではない。生き返るということも、死者たちの生者が死者から生まれるということも、死者たちの魂が存在するということも、本当に有ることなのだ
☆★☆★☆
たしかに死者と生者が循環していなかったら、死者が増えていくに従って生者は減っていき、ついには誰もいなくなるという状態になりそうですね。
死者と生者の関係については、私は夜空のお月さんが私たちに教えてくれているように思います。
つまり、月は満月の時は美しく輝き最も大きくなっていますが、次第に欠けていき、新月では姿が見えなくなりますね。
しかしそれで消えてしまったのではなく、また少しずつ姿を大きくしていきます。
月を魂と考えると死者と生者が新月と満月のように思えます。
新月で月の姿が見えなくとも、月自体がなくなってしまうわけではありませんね。
それと同じように、人間の肉体は死という状態になっても、魂は消えてしまわずに存在していて、その魂がまた新たな肉体に宿って生者として地上に現れるということだろうと思います。
魂が存在し続けているからこそ、何度も生まれ変わってはさまざまな経験を積むことができますね☆
次回は「想起説」のお話が出てきます♪ お楽しみに(^_-)-☆