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Posted by おてもやん at
『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)より霊魂の不滅の証明についてのギリシャの哲学者ソクラテスの考えをご紹介したいと思います。
尚、この作品はソクラテスが服毒による刑死を控え、獄中で弟子たち(シミアスとケベス)と哲学的対話をするものです。





魂の存在についての議論のあとに「想起説」が続きます。

【P55~】

ケベス    あなたがよく話しておられたあの理論―それは、われわれの学習は想起にほかならないというあの理論ですが―それにしたがってもまた、もしそれが真実であれば、われわれはなにか以前の時に、現在想起していることを学んでしまっている、ということにならざるを得ません。
だが、このことは、もしもわれわれの魂がこの人間の形の中に入る前に、どこか存在していたのでなかったならば、不可能です。だから、この点からも、魂がなにか不死なるものである、思われるのです


シミアスが口を挟みました。「その証明はどんなだっけ。思い出させてくれないか」


ケベス    一つのもっとも美しい論証は…人々は質問されると、もし上手に質問が行われれば、どんなことについてでも、それが真実にはどう有るかということを、自力で言うことができる、ということだ。
だが、もしも、人々のうちに予め知識や正しい説明が内在していたのでなかったならば、このことをするのは不可能だったろう。さらに、また、幾何学の図形やなにか他のその種のものを例に用いれば、そこで、この通りであるということが、この上なく明らかに証明されるだろう




ソクラテスが『メノン』(プラトン著 藤沢令夫訳 岩波文庫)の中でメノン(貴族の子息)の召使の少年に対して図形についての質問を繰り返していき、少年から答えを導いていくという興味深い場面が登場します。




ソクラテスは召使の少年に正方形ABCDの2倍の面積になる正方形の導き方を尋ねていきます。 そこの場面を引用してご紹介します。

【メノンP61~】

ソクラテス  〔召使に向かって〕では、君、答えてくれたまえ。――ここに四〔平方〕プゥスの大きさの図形〔正方形ABCD〕がある。わかるね?

召使     ええ

ソクラテスここに、もうひとつ別の等しい図形〔BKPC〕を、これにつけ加えることができるね?

召使     はい



ソクラテス  さらに、このどちらとも等しい第三番目のもの〔CPLQ〕を、ここに付け加えることができるね?

召使     はい

ソクラテス  この角のあいているところを、これ〔DCQM〕をつけ加えてうずめることができるね?

召使     たしかに

ソクラテス  そうすると、ここに四つの等しい図形ができることになるね?

召使     はい

ソクラテス  で、どうだろう――この全体〔AKLM〕は、これ〔ABCD〕の何倍になるだろうか?

召使     四倍です

ソクラテス  しかるにわれわれには、二倍の大きさのものができなければならないのだった。おぼえていないかね?

召使     たしかにそうでした

ソクラテス  では、こういうふうに角から角へ線〔BDその他〕をひいて行くと、これらの図形のひとつひとつを二分することになるのではないかね?

召使     はい

ソクラテス  そうすると、これら四つの等しい線〔DB・BP・PQ・QD〕ができて、この図形〔DBPQ〕をとりかこむことになるね。

召使     ええ、そういうことになります

ソクラテス  さあ考えてごらん――この図形〔DBPQ〕の大きさはいくらだろうか?

召使     わかりません

ソクラテス  このひとつひとつの腺〔DB・BP・PQ・QD〕は、ここに四つの図形があるが、そのおのおのの半分ずつを内側に切りとっているのではないか。ね?

召使     はい

ソクラテス  では、半分に切りとられたそれだけの大きさのものが、これ〔DBPQ〕の中にいくつあるかね?

召使     四つあります

ソクラテス  これ〔ABCD〕の中にはいくつあるかね?

召使     二つあります

ソクラテス  四つは二つの何にあたるかね?

召使     二倍です

ソクラテス  そうすると、これ〔DBPQ〕は何〔平方〕プゥスになるかね?

召使     八〔平方〕プゥスです

ソクラテス  どのような腺からできているかね?

召使     これ〔DB〕です

ソクラテス  四〔平方〕プゥスの大きさの図形の、角から角へひいた線のことだね?

召使     はい

ソクラテス  学者たちはこの線のことを、対角線と呼んでいるのだよ。
だから対角線というのがこれの名前だとすると、メノンに仕える子よ、君の主張は、対角線を一辺として二倍の正方形はできるのだということになるだろう

召使     たしかにそのとおりです、ソクラテス



ソクラテス  どう思う?メノン。この子が答えたことで、この子自身の思わく(思いなし)ではないようなものが、ひとつでもあっただろうか

メノン    いいえ、自分でそう思ったことばかりでした

ソクラテス  しかし、われわれがすこし前に言っていたように、もともとこの子は、こうしたことを知ってはいなかったのだ

メノン    おっしゃるとおりです

ソクラテス  ただしかし、この子の中には、この子がいま述べたようないろいろの思わくが内在していたということはたしかだ。そうではないだろうか?

メノン    ええ

ソクラテス  とすると、ものを知らない人の中には、何を知らないにせよ、彼が知らないその当の事柄に関する正しい思わくが内在しているということになるね?

メノン    明らかにそうです

ソクラテス  そしてこの子にとって、これらいろいろの思わくは、いまでこそ、ちょうど夢のように、よびさまされたばかりの状態にあるわけだけれども、しかしもし誰かが、こうした同じ事柄を何度もいろいろのやり方でたずねるならば、最後には、この子はこうした事柄について、誰にも負けないくらい正確な知識をもつようになるだろうということは、うけあってもいいだろう

メノン    そうでしょうね

ソクラテス  それは、誰かがこの子に教えたからというわけではなく、ただ質問した結果として、この子は自分で自分の中から知識をふたたび取り出し、それによって知識をもつようになるのではないかね?

メノン    そうです

ソクラテス  しかるに、自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか?

メノン    ええ

ソクラテス  で、もしつねにもちつづけていたというほうの前提をとれば、この子はまた、つねに知識をもっている人であったということになるし、他方また、いつか以前に得たのだとしても、すくなくとも現在のこの生においてそれを得たことにはならないだろう。――それとも誰か、この子に幾何のやり方を教えこんだ者がいるのかね?
なぜって、この子はきっと、幾何学のどんな問題についても、同じようにこういったことをするだろうからね。さらには、ほかのあらゆる学問についても――。
さあ、誰かこの子に、何もかも教えてしまったものがいるのかね?君は当然知っているはずだ。とくに、この子が君の家で生まれ、君の家で育てられたというのならば

メノン    いいえ、私はよく知っていますが、これまで誰もこの子に教えた者はいません

ソクラテス  それなのにこの子は、さっきのようないろいろの思わくをちゃんともっているのだ。そうではないかね?

メノン    それは、ソクラテス、否定できないようです


【中略】


ソクラテス  そこで、もしこの子が人間であったときにも、人間として生まれていなかったときにも、同じように正しい思わくがこの子の中に内在していて、それが質問によってよびさまされたうえで知識となるというべきならば、この子の魂は、あらゆるときにわたって、つねに学んでしまっている状態にあるのではないだろうか?
なぜなら明らかに、この子はあらゆる時を通じて、人間であるか人間でないかの、どちらかなのだから

メノン    明らかにそういうことになります

ソクラテス  そこで、もしわれわれにとって、もろもろの事物に関する真実がつねに魂の中にあるのだとするならば、魂とは不死のものだということになるのではないだろうか。
したがって、いまたまたま君が知識をもっていないような事柄があったとしても――ということはつまり、想い出していないということなのだが――心をはげましてそれを探究し、想起するようにつとめるべきではないだろうか?

メノン    あなたのおっしゃることには、ソクラテス、なぜかはしりませんが、たしかになるほどと思わせるものがあるようです





☆★☆★☆





ソクラテスが召使の子供に対して、正方形ABCDの2倍の面積の正方形の求め方を導いていますね。

正方形の対角線は√2の長さになりますから、面積は√2×√2=2 ということで確かに2倍になりますね。

それをより分かりやすく四角形や三角形の図形の数を使って子どもを導いています。

この設問の答えは誰が教えずともすでに彼の中にあるもので、それは魂が持っている叡智であり、魂は絶えることなくあらゆる時代にあらゆる経験をしてその叡智を蓄えているということをソクラテスは言っています。

魂の不滅性です。



魂が不滅で実はなんでも知っているんだという前提に立つと、例えば教育においても子供や生徒への接し方が変わってくるのではないでしょうか。

目の前の子どもや生徒には教えないとわからない、というスタンスで臨むのと、相手のもともと持っている叡智が想起されるようにサポートをしていく、というスタンスで臨むのとでは、教え方も学び方も違ってくるでしょう。

想起させるための導き方が重要になってきますね。

ソクラテスは召使の子供に対して、すでにこの子には叡智が備わっているという前提で導いていますね。参考になる方法ではないでしょうか。



占星術のレッスンやセミナーにおいて申し上げますと、私がお教えすることは、受講される方がご自分の叡智を思い出すための一つのきっかけであると思っています。

ご自分も同じ考え、叡智を持っていることを思い出される方もいらっしゃるでしょう。

またご自分はその考えとは違う叡智をもっているということを思い出される方もいらっしゃるでしょう。

お一人お一人の魂の叡智を認めて尊重することは、大切なエンパワーメントだと思います。



これからさらに魂の不滅性についての探究が続きますよ!

どうぞお楽しみに(^_-)-☆

  


Posted by スターエンジェル at 13:54Comments(2)『パイドン』☆ソクラテスとの対話