先日はウエサク祭の射手座の満月でしたが、満月ということは月と太陽が地球をはさんで向かい合っている状態なんですね。
満月の時に月が輝くのは、月自体が光を発しているからではなく、太陽の光を月がまるで鏡のように反射して輝いているということになります。
もし月自体が光を放っているならば、太陽のように常に輝いているわけですが、実際は太陽の光の反射で輝いているため、月と太陽の位置関係によって満月や新月、半月などといった月の輝きの形に変化が生まれるわけですね。
(国立天文台HPより)
地球から見て、月と太陽が同じ方向に重なっている状態が新月と呼ばれる状態です。
月が太陽と地球の間にある状態ですね。
月は太陽の光を反射しているのですが、その反射の向きが地球の方には向いていないために、その月明かりを私たちは見ることができません。
そのため新月は真っ暗に見えるわけですね。
真っ暗な新月はまるで月が天岩戸に閉じ込められたかのようですが、日に日に少しずつ輝く部分が増していき、約15日後には満月を迎え、そこからはまた光が減っていって真っ暗な新月になるというサイクルになります。
月は占星術では自分の内面や性格といったものを表すわけですが、月の満ち欠けというのは私たちの心のあり方を表しているとも言えるのではないかと思います。
つまり、私たちの心は弾むときもあれば、陰る時もありますし、引きこもりたくなる時もあれば、開放的・社交的になることもありますよね。
「コロコロ変わるからココロという」などとも言われますが、月の満ち欠けのごとく私たちの心は常に変化していると言えるでしょう。
この月のサイクルということ、それはずっと新月のままとか、ずっと満月のままということはなく、日々形が変わっていくわけですが、その在りようから、いろいろと参考にできる事があるのではないかと思います。
私たちの心のあり方も例えば塞いでいる状態があったとしても、新月から満月へ向かっていくように、心を開いていくこともできるということを月は教えてくれているのではないでしょうか。
また反対に、満月から新月に移っていくように開いていた心が閉じることもあるということ、それもまた受け容れていくといいのだろうと思います。
いつも満月のようでなくてはならないと考えると、自分に課すものが厳しくなってしまうかもしれません。
何かトラブルや不幸や意に沿わないことがあれば、落胆してしまうのも人間としては普通のことだと受け止めることも大切なことかもしれません。
月も心も常に変化していきますから、例え気持ちが沈んだとしても、また気持ちを持ち上げていくこともできるということですね。
それは私たちの心のあり方としてもいろいろな形があってもいいわけですし、コロコロ変わるものと考えておいた方が自然なのではないでしょうか。
月は太陽の光を反射しており、月の輝く形は日々移り変わりますが、光の元である太陽というのは常に輝いてますね。
この太陽の光というのは、私たちのスピリットの光そのものと考えるといいのではないかと私は思います。
神の一部、神の子としてのスピリットの光ですね。
そして満月というのは、太陽の光を月が全体で反射しているわけですが、これはスピリットの素晴らしい光を分かりやすく見せてくれていると言えるのではないでしょうか。
そして新月は暗くて見えないわけですが、それは私たち人間が自分自身の光に気づいていない、あるいはその光に直面するのに抵抗があるといった状況が新月の状況であると見ることもできます。
しかし実は地球から見ると月が太陽に最も近付いている時が新月となるんですね。
太陽に例えられる自分自身の素晴らしい”スピリットの光”が近くで輝いている、と言えます。
ですから新月は、そこから天岩戸開きのように自分の中のスピリットの光を目覚めさせるということのできる状況、始まりの時なんだということも言えるわけですね。
素晴らしい時でもあるわけです。
そしてそういう真っ暗なときこそ、実は太陽に一番近いんだということを認識することは、とても大切なことではないでしょうか。

常に光は存在します。
それは自分の中に。
心のあり方によって、その光を外に向けて放つこともできれば、光が閉じこもることもあるかもしれません。
しかし光は常に自分の中に存在しているということを月と太陽の関係が教えてくれるなあと私は感じています。
みなさまも天体を眺めていろいろと感じられることがあると思います。
天と地はつながっていますので、天体の輝き、動き、うつろい、すべて私たちの人生において参考にしていけることではないかと思います。
みなさまに星々と共に祝福を贈ります☆
満月の時に月が輝くのは、月自体が光を発しているからではなく、太陽の光を月がまるで鏡のように反射して輝いているということになります。
もし月自体が光を放っているならば、太陽のように常に輝いているわけですが、実際は太陽の光の反射で輝いているため、月と太陽の位置関係によって満月や新月、半月などといった月の輝きの形に変化が生まれるわけですね。

地球から見て、月と太陽が同じ方向に重なっている状態が新月と呼ばれる状態です。
月が太陽と地球の間にある状態ですね。
月は太陽の光を反射しているのですが、その反射の向きが地球の方には向いていないために、その月明かりを私たちは見ることができません。
そのため新月は真っ暗に見えるわけですね。
真っ暗な新月はまるで月が天岩戸に閉じ込められたかのようですが、日に日に少しずつ輝く部分が増していき、約15日後には満月を迎え、そこからはまた光が減っていって真っ暗な新月になるというサイクルになります。
月は占星術では自分の内面や性格といったものを表すわけですが、月の満ち欠けというのは私たちの心のあり方を表しているとも言えるのではないかと思います。
つまり、私たちの心は弾むときもあれば、陰る時もありますし、引きこもりたくなる時もあれば、開放的・社交的になることもありますよね。
「コロコロ変わるからココロという」などとも言われますが、月の満ち欠けのごとく私たちの心は常に変化していると言えるでしょう。
この月のサイクルということ、それはずっと新月のままとか、ずっと満月のままということはなく、日々形が変わっていくわけですが、その在りようから、いろいろと参考にできる事があるのではないかと思います。
私たちの心のあり方も例えば塞いでいる状態があったとしても、新月から満月へ向かっていくように、心を開いていくこともできるということを月は教えてくれているのではないでしょうか。
また反対に、満月から新月に移っていくように開いていた心が閉じることもあるということ、それもまた受け容れていくといいのだろうと思います。
いつも満月のようでなくてはならないと考えると、自分に課すものが厳しくなってしまうかもしれません。
何かトラブルや不幸や意に沿わないことがあれば、落胆してしまうのも人間としては普通のことだと受け止めることも大切なことかもしれません。
月も心も常に変化していきますから、例え気持ちが沈んだとしても、また気持ちを持ち上げていくこともできるということですね。
それは私たちの心のあり方としてもいろいろな形があってもいいわけですし、コロコロ変わるものと考えておいた方が自然なのではないでしょうか。
月は太陽の光を反射しており、月の輝く形は日々移り変わりますが、光の元である太陽というのは常に輝いてますね。
この太陽の光というのは、私たちのスピリットの光そのものと考えるといいのではないかと私は思います。
神の一部、神の子としてのスピリットの光ですね。
そして満月というのは、太陽の光を月が全体で反射しているわけですが、これはスピリットの素晴らしい光を分かりやすく見せてくれていると言えるのではないでしょうか。
そして新月は暗くて見えないわけですが、それは私たち人間が自分自身の光に気づいていない、あるいはその光に直面するのに抵抗があるといった状況が新月の状況であると見ることもできます。
しかし実は地球から見ると月が太陽に最も近付いている時が新月となるんですね。
太陽に例えられる自分自身の素晴らしい”スピリットの光”が近くで輝いている、と言えます。
ですから新月は、そこから天岩戸開きのように自分の中のスピリットの光を目覚めさせるということのできる状況、始まりの時なんだということも言えるわけですね。
素晴らしい時でもあるわけです。
そしてそういう真っ暗なときこそ、実は太陽に一番近いんだということを認識することは、とても大切なことではないでしょうか。

常に光は存在します。
それは自分の中に。
心のあり方によって、その光を外に向けて放つこともできれば、光が閉じこもることもあるかもしれません。
しかし光は常に自分の中に存在しているということを月と太陽の関係が教えてくれるなあと私は感じています。
みなさまも天体を眺めていろいろと感じられることがあると思います。
天と地はつながっていますので、天体の輝き、動き、うつろい、すべて私たちの人生において参考にしていけることではないかと思います。
みなさまに星々と共に祝福を贈ります☆