古(いにしえ)の時代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が伊勢の地に鎮座されました。
そこには倭姫(やまとひめ)の、鎮座にふさわしい地を探し求めて歩かれるというご苦労があったと伝えられています。
倭姫が旅に出るには理由がありました。
第10代崇神天皇の御代に大変な飢饉や疫病が起きましたが、この時代には天照大御神は天皇の邸宅の敷地で祀られていました。
そこで天皇は邸宅の敷地での祀っていることが神様の怒りをかってしまったと思い、他所で祀ったところ、事態もなんとか鎮まったといいます。
しかし今後も同じようなことが起きてはいけないということで、永続的にお祀りできる清らかな場所を探すことになりました。
そこで活躍されたのが第11代垂仁(すいにん)天皇の皇女である倭姫だったわけですね。
倭姫は天照大御神のご神体とされる「八咫鏡(やたのかがみ)」を預って、大和国から伊賀、近江、美濃などを巡幸されました。
そして伊勢の国に入り、五十鈴川(いすずがわ)のほとりで倭姫は天照大御神の声を聞かれたと伝えられています。
『 この神風の伊勢国は 常世(とこよ)の波の重波(しきなみ)寄する国なり この国に居らむと思う 』
ここに居たいという神託により現在の地に神宮を建てられました。
倭姫はまさに、シャーマンの中のシャーマンですね☆
八咫鏡の大きさがどれくらいかは謎ですが、鏡を持っての巡幸というのは、大変な労力が必要だったでしょう。
巡幸された各地は、元伊勢とも呼ばれていますが、なにせ古代のことですから、整備されていない険しい道もたどっていかれたのではないかと思うと、本当にすごいお役目を果たされたなあと感動します。
伊勢に落ち着かれてから倭姫は、神嘗祭(かんなめさい)などの祭礼や神社の運営に関するさまざまな取り決めを行い、神宮の基礎固めをされたそうですが、それはその後の日本中の神社にとって、重要なことだったろうと思います。
ところで、“風水“という観点からも、伊勢神宮が素晴らしい場所に創建されたと言えそうです。
『風水パワースポット紀行』(山道帰一著 メディア総合研究所)によりますと、朝熊ヶ岳(あさまがたけ)より連なってきた山脈が力強い肉厚の龍となって内宮に向かっており、その龍が舌を伸ばした「吐唇(としん)」(気が吐き出される場所)という平地部に伊勢神宮の内宮が建っているそうです(同書P125)。
朝熊ヶ岳は瘤(こぶ)を作り連なった龍脈(山脈)であり、それは「生龍(せいりゅう)」と呼ばれ、「最吉にして、必ず富貴の大地を結ぶ。土地の主人は、子宝に恵まれて栄え、代々富貴となる」とされるそうです(同書P125)。

日本の皇室は、他国に比べてとても長い歴史を持っています。
皇室の祖神である天照大御神をお祀りする内宮が、風水的に素晴らしい場所に建てられたということも、皇室を長く存続させている力の1つかもしれませんね。
また、内宮は陽の気が活発な場所であるため、肉体の活性化や精神の活性化の祈願をするにも適した場所と言えるでしょう(同書P127)。
倭姫が風水の観点をもってお祀りする場所を探されたのかどうかは分かりませんが、神の声を聞かれたその場所は、龍脈のエネルギーを集めて吐き出すパワースポットであったわけですから、神様のなさることは本当に畏れ(おそれ)多いことだと思います。
倭姫という偉大なシャーマンをお祀りしてあるお宮が、倭姫宮(やまとひめのみや)です。

伊勢神宮の別宮(べつぐう)ですが、別宮は本宮と同じように式年遷宮のあるとても格式の高い神社ですから、それだけ倭姫が優れた貢献をなさったということだと思います(^_-)-☆


静かで素敵な神社です。
古代になされた倭姫と天照大御神の旅を想いながら、ゆっくりと訪ねてみられてはいかがでしょうか☆
そこには倭姫(やまとひめ)の、鎮座にふさわしい地を探し求めて歩かれるというご苦労があったと伝えられています。
倭姫が旅に出るには理由がありました。
第10代崇神天皇の御代に大変な飢饉や疫病が起きましたが、この時代には天照大御神は天皇の邸宅の敷地で祀られていました。
そこで天皇は邸宅の敷地での祀っていることが神様の怒りをかってしまったと思い、他所で祀ったところ、事態もなんとか鎮まったといいます。
しかし今後も同じようなことが起きてはいけないということで、永続的にお祀りできる清らかな場所を探すことになりました。
そこで活躍されたのが第11代垂仁(すいにん)天皇の皇女である倭姫だったわけですね。
倭姫は天照大御神のご神体とされる「八咫鏡(やたのかがみ)」を預って、大和国から伊賀、近江、美濃などを巡幸されました。
そして伊勢の国に入り、五十鈴川(いすずがわ)のほとりで倭姫は天照大御神の声を聞かれたと伝えられています。
『 この神風の伊勢国は 常世(とこよ)の波の重波(しきなみ)寄する国なり この国に居らむと思う 』
ここに居たいという神託により現在の地に神宮を建てられました。
倭姫はまさに、シャーマンの中のシャーマンですね☆
八咫鏡の大きさがどれくらいかは謎ですが、鏡を持っての巡幸というのは、大変な労力が必要だったでしょう。
巡幸された各地は、元伊勢とも呼ばれていますが、なにせ古代のことですから、整備されていない険しい道もたどっていかれたのではないかと思うと、本当にすごいお役目を果たされたなあと感動します。
伊勢に落ち着かれてから倭姫は、神嘗祭(かんなめさい)などの祭礼や神社の運営に関するさまざまな取り決めを行い、神宮の基礎固めをされたそうですが、それはその後の日本中の神社にとって、重要なことだったろうと思います。
ところで、“風水“という観点からも、伊勢神宮が素晴らしい場所に創建されたと言えそうです。
『風水パワースポット紀行』(山道帰一著 メディア総合研究所)によりますと、朝熊ヶ岳(あさまがたけ)より連なってきた山脈が力強い肉厚の龍となって内宮に向かっており、その龍が舌を伸ばした「吐唇(としん)」(気が吐き出される場所)という平地部に伊勢神宮の内宮が建っているそうです(同書P125)。
朝熊ヶ岳は瘤(こぶ)を作り連なった龍脈(山脈)であり、それは「生龍(せいりゅう)」と呼ばれ、「最吉にして、必ず富貴の大地を結ぶ。土地の主人は、子宝に恵まれて栄え、代々富貴となる」とされるそうです(同書P125)。

日本の皇室は、他国に比べてとても長い歴史を持っています。
皇室の祖神である天照大御神をお祀りする内宮が、風水的に素晴らしい場所に建てられたということも、皇室を長く存続させている力の1つかもしれませんね。
また、内宮は陽の気が活発な場所であるため、肉体の活性化や精神の活性化の祈願をするにも適した場所と言えるでしょう(同書P127)。
倭姫が風水の観点をもってお祀りする場所を探されたのかどうかは分かりませんが、神の声を聞かれたその場所は、龍脈のエネルギーを集めて吐き出すパワースポットであったわけですから、神様のなさることは本当に畏れ(おそれ)多いことだと思います。
倭姫という偉大なシャーマンをお祀りしてあるお宮が、倭姫宮(やまとひめのみや)です。

伊勢神宮の別宮(べつぐう)ですが、別宮は本宮と同じように式年遷宮のあるとても格式の高い神社ですから、それだけ倭姫が優れた貢献をなさったということだと思います(^_-)-☆


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占星術師は古来、哲学者であり、ヒーラーであり、天の通訳でした。
基本的な占星術の知識の理解と、実際にご自分のホロスコープ等を使って、総合的に星を読む実践を積んでいきます☆
マンツーマンでレッスンを行っていきますので、お客様のペースに合わせて進めていくことができますよ
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