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Posted by おてもやん at
こんばんは(^.^)/

今日は『パイドン』(Phaedo)〔プラトン著 岩田靖男訳 岩波文庫〕よりソクラテスと弟子のケべスとの対話を引用してご紹介したいと思います。




〈P18~21〉獄中での対話が始まります。

ソクラテス  諸君、人々が快と呼んでいるのものは、なんとも奇妙なもののようだ。それの反対と思われている苦痛に対して、快は生来なんと不可思議な関係にあることだろう。この両者はけっして同時に人間にやって来ようとはしないのに、だれかが一方を追いかけてつかまえると、ほとんど常に他方をつかまえさせられる。まるで、二つでありながら、一つの頭で結合されているみたいにね。



ケべス  ゼウスにかけて、ソクラテス、おかげさまで思い出したことがあるのです。つまり、あなたがお作りになった詩についてです。あなたは以前にはけっして詩などお作りになったことがないのに、ここ牢獄に来て以来、アイソポスの物語を詩に直したりアポロンへの賛歌を作ったりなさっているのですが、いったいどういうお考えでそういうことをしているのか、と、いろいろな人々に私は訊ねられましたが、《後略》



ソクラテス  《前略》僕は自分が何度も見たある種の夢の意味を確かめようとしたのだ。そして、もしかしてこの夢が僕になすようにと命じていたものがこの種の文芸であったとすれば、その責めを果たそうと思ったのだ。その夢とはなにかこんなものだった。これまでの生涯において、しばしば同じ夢が僕を訪れたのだが、それは、その時々に違った姿をしてはいたが、いつも同じことを言うのだった。『ソクラテス、文芸(ムーシケー)を作り(なし)、それを業とせよ』。

そして、僕は以前には、僕がずっとしてきたことをこの夢が僕に勧め命じているのだ、と思っていた。ちょうど走者に人々が声援を送るように、この夢は僕に、僕がまさにし続けてきたことを文芸をなすこととして激励しているのだ、と。なぜなら、僕は、哲学こそ最高の文芸であり、僕はそれをしているのだ、と考えていたからだ。

しかし、いまや裁判も終わり、神の祭りが僕の死を妨げている間に、僕はこう思ったのだ。もしかしてあの夢は通俗的な意味での文芸をなすようにと僕に命じているのかもしれない。それなら、その夢に逆らうことなく、僕はそれをしなければならない、と。なぜなら、夢に従って詩を作り聖なる義務を果たしてからこの世を立ち去る方が、より安全であるからだ。

こうして、先ず、僕は現にその祭りが行われていた神アポロンへの賛歌を作ったのだ。それから、神への賛歌の後で僕は考えた。詩人というものは、もし本当に詩人[作る人、ポイエーテース]であろうとするなら、ロゴス[真実を語る言論]ではなくてミュトス[創作物語]を作らなければならない、と。そして、僕は物語作家ではないのだから、手近にあって僕がよく知っている物語、つまり、アイソポスの物語を取り上げ、それらのうちで最初に思いついたものを詩に直したのだ。《後略》











ソクラテスはムーシケー(文芸)をなすようにという夢からのメッセージを受けとったということですね。

哲学者のソクラテスが人生最期という時に、詩をはじめとする芸術を、それも高尚なものではなく、通俗的な意味での文芸をなすことの必要性を感じたというのはおもしろいですね。

偏ることなく、なんでも楽しむようにと、天がささやいたのかもしれません。

夢でみたことを信じて行動に起こすというところが、ソクラテスのすごいところだなあと思います。そして哲学者というのは、決して頭だけで考える人ではないんだなあと感じます(*^_^*)

いつもStar Angel のブログを読んで下さいまして、ありがとうございます☆
  


Posted by スターエンジェル at 22:44Comments(0)『パイドン』☆ソクラテスとの対話