4月の気候の良い時に、金星のアセンデッド・マスターであるアシュタールさんの熊野・天河ツアーに参加してきました。
各聖地を巡礼したのですが、まずは那智大社(なちたいしゃ)から始まりました
那智と言えば、落差日本一の那智の瀧(たき)が有名ですね
創建は古く、那智大社のHPには紀元前662年の神武天皇の東征で那智に上陸され、那智の滝をご神体として祀られたのが起源とあります。
その後、山の中腹に社殿が設けられたのが那智大社ということですね。
主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、イザナミノミコトです。
500段近い階段を昇っていきますが、それだけ見晴らしはよくなっていきます。
登り切って左を見るときれいな桜が咲いていました。

こちらは「秀衡(ひでひら)桜」と呼ばれる山桜ですが、名前の由来ですが、奥州平泉を中心に栄えた藤原氏第三代当主の藤原秀衡が熊野詣をした際に、奥州から持ってきたと伝えられています。
飛行機も新幹線もない時代に、今の岩手県から熊野まで参詣に来るというのはすごいことですね~
熊野も奥州平泉も浄土信仰が盛んであったということでつながっていますね

そして那智大社の鮮やかな朱色の社殿が私たちを迎えてくれます。
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ・イザナミノミコト)について、那智大社HPで以下のように説明して下さっています。
『夫須美とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、同時に「結(むすび)」という意味を持っています』
生み出して結びつける。
イザナミノミコトは、夫のイザナギノミコトと共にたくさんの神を生みました。
それはまた、パートナーシップのなせる業でもありますね

本殿に向かって左側に御縣彦社(みあがたひこしゃ)があります。
こちらの社は、三本の足を持つ八咫烏(やたがらす)がお祀りしてあります。
神話では八咫烏は神武天皇を熊野から大和の橿原(かしはら)まで先導したと伝えられています。

その導きのおかげで、二千六百有余年の日本の歴史が始まりました
また、サッカー日本代表のロゴマークとしても八咫烏は知られていますね。
元々中国には三本足の”太陽に棲む霊鳥”の伝説があるそうです。
八咫烏が神武天皇を導いたことを思うとき、ベツレヘムの星に導かれて東方の三博士が、誕生したばかりのイエス様のもとを訪れた物語を思い出します。

さて、那智大社の境内には大きな樟(クスノキ)がありますが、その幹は人が通れるように空洞化しているため、「胎内くぐり」を体験することが出来ます。

これは再誕生の儀式ですね
怖れを手放し、生まれ変わるという意図を持って臨まれると、本当に神聖な儀式となるでしょう
那智大社の隣には青岸渡寺(せいがんとじ)があります。
こちらは西国三十三観音霊場の第一番札所ですね
如意輪(にょいりん)観音様がご本尊としてお祀りされています。
那智大社とはやはり雰囲気が違いますね~。
神社と寺院とは異なる趣がありますが、明治以前は神仏が習合していたわけですね。
神と仏と一体になって、そのパワーは計り知れません
熊野本宮と新宮にあった仏教寺院は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって取り壊されましたが、那智大社の寺院(如意輪堂)だけは残されました。
それが青岸渡寺なんですね。
神社と寺院の雰囲気の違いを味わえる貴重な場所です

どっしりとしたお堂に入り、お参りしました。
堂内には修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)様もいらっしゃいましたよ。

たくさんの人々の祈りを観音様が受け止めて、救ってくださっているんだなと感じます。
布袋様
ほっこりしますね

そしていよいよ那智の瀧へ

飛瀧神社(ひろうじんじゃ)としてお祀りしてありますが、こちらには本殿はありません。
瀧自体がご神体なんですね。
近くに行くと、133mの高さは迫力があります
たしかに神がおわします。
そして浄化されますねー
これはカルマの解放ですね
熊野は神仏習合のメッカでしたが、那智大社の主祭神であるイザナミノミコトは、千手観音(せんじゅかんのん)と習合しました。
千手観音はあらゆる手段を使って私たちを助けて下さる仏様ですが、カルマを解放して下さるマスターでもいらっしゃいます。
そして、慈悲にあふれた優しい仏様ですね。
女神と言われるイザナミノミコトと観音様の組み合わせは、その優しいお姿からイメージしやすいなあと思います。
神武天皇はこの地を訪れ瀧を発見し、この瀧を大国主命(おおくにぬしのみこと)として祀られたわけですが、那智の地にはイザナミノミコト、千手観音、大国主命に如意輪観音とありがたい神仏の輪が広がってますねー
ところで、アシュタールさんの那智に関するメッセージの中で、「サラスバティー」という神様の名前が出てきました。
日本では弁財天や弁天様として信仰されていますね。
那智大社にも青岸渡寺にもサラスバティーが祀ってあるわけではありませんが、神様や仏様といういわゆる「スピリット」には、場所的な限定はないんだということですね。
サラスバティーが那智を訪れている巡礼者をサポートして下さることも当然あり得ますし、那智大社の境内にいる時はイザナミノミコトが護って下さるけれど、隣の青岸渡寺に移動した途端、イザナミノミコトのサポートがなくなるということもありませんからね~
限定的にとらえてしまうのは、神仏などのスピリットではなく、私たち人間の方なんですね。
『スピリットはフレキシブルです(柔軟性があります)』とは、アシュタールさんが以前仰った言葉です。
八百万の神や曼荼羅に表されているような様々な仏様に対して、私たちの方から呼びかければ、そして願いを伝えれば、お一方と限らずたくさんの神仏がたちまちの内に駆けつけて下さるでしょう
それにしても青岸渡寺の如意輪観音(御前立)のたおやかなお姿は、弁財天のような雰囲気もありますね

さて、那智の瀧の姿をみていると、私には瀧が千手観音の体で、両横に群生している松の木々が千本の手のように見えてきます。
さらに水のあるところに龍がいます。
瀧という字の中に既に龍が組み込まれていますね
瀧は龍神様でもあるわけです。
瀧などの聖なる場所に神仏が宿る。
この自然崇拝とも言われる感覚は、確かな感覚なんだということを、熊野という土地は体感させてくれるのだと思います。
もう一度じっくりと巡ってみたいと思わせる、素晴らしい那智の旅でした
各聖地を巡礼したのですが、まずは那智大社(なちたいしゃ)から始まりました

那智と言えば、落差日本一の那智の瀧(たき)が有名ですね

創建は古く、那智大社のHPには紀元前662年の神武天皇の東征で那智に上陸され、那智の滝をご神体として祀られたのが起源とあります。
その後、山の中腹に社殿が設けられたのが那智大社ということですね。
主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、イザナミノミコトです。
500段近い階段を昇っていきますが、それだけ見晴らしはよくなっていきます。
登り切って左を見るときれいな桜が咲いていました。

こちらは「秀衡(ひでひら)桜」と呼ばれる山桜ですが、名前の由来ですが、奥州平泉を中心に栄えた藤原氏第三代当主の藤原秀衡が熊野詣をした際に、奥州から持ってきたと伝えられています。
飛行機も新幹線もない時代に、今の岩手県から熊野まで参詣に来るというのはすごいことですね~

熊野も奥州平泉も浄土信仰が盛んであったということでつながっていますね


そして那智大社の鮮やかな朱色の社殿が私たちを迎えてくれます。
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ・イザナミノミコト)について、那智大社HPで以下のように説明して下さっています。
『夫須美とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、同時に「結(むすび)」という意味を持っています』
生み出して結びつける。
イザナミノミコトは、夫のイザナギノミコトと共にたくさんの神を生みました。
それはまた、パートナーシップのなせる業でもありますね


本殿に向かって左側に御縣彦社(みあがたひこしゃ)があります。
こちらの社は、三本の足を持つ八咫烏(やたがらす)がお祀りしてあります。
神話では八咫烏は神武天皇を熊野から大和の橿原(かしはら)まで先導したと伝えられています。

その導きのおかげで、二千六百有余年の日本の歴史が始まりました

また、サッカー日本代表のロゴマークとしても八咫烏は知られていますね。
元々中国には三本足の”太陽に棲む霊鳥”の伝説があるそうです。
八咫烏が神武天皇を導いたことを思うとき、ベツレヘムの星に導かれて東方の三博士が、誕生したばかりのイエス様のもとを訪れた物語を思い出します。

さて、那智大社の境内には大きな樟(クスノキ)がありますが、その幹は人が通れるように空洞化しているため、「胎内くぐり」を体験することが出来ます。

これは再誕生の儀式ですね

怖れを手放し、生まれ変わるという意図を持って臨まれると、本当に神聖な儀式となるでしょう

那智大社の隣には青岸渡寺(せいがんとじ)があります。
こちらは西国三十三観音霊場の第一番札所ですね

如意輪(にょいりん)観音様がご本尊としてお祀りされています。
那智大社とはやはり雰囲気が違いますね~。
神社と寺院とは異なる趣がありますが、明治以前は神仏が習合していたわけですね。
神と仏と一体になって、そのパワーは計り知れません

熊野本宮と新宮にあった仏教寺院は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって取り壊されましたが、那智大社の寺院(如意輪堂)だけは残されました。
それが青岸渡寺なんですね。
神社と寺院の雰囲気の違いを味わえる貴重な場所です


どっしりとしたお堂に入り、お参りしました。
堂内には修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)様もいらっしゃいましたよ。

たくさんの人々の祈りを観音様が受け止めて、救ってくださっているんだなと感じます。
布袋様



そしていよいよ那智の瀧へ


飛瀧神社(ひろうじんじゃ)としてお祀りしてありますが、こちらには本殿はありません。
瀧自体がご神体なんですね。
近くに行くと、133mの高さは迫力があります

たしかに神がおわします。
そして浄化されますねー

これはカルマの解放ですね

熊野は神仏習合のメッカでしたが、那智大社の主祭神であるイザナミノミコトは、千手観音(せんじゅかんのん)と習合しました。
千手観音はあらゆる手段を使って私たちを助けて下さる仏様ですが、カルマを解放して下さるマスターでもいらっしゃいます。
そして、慈悲にあふれた優しい仏様ですね。
女神と言われるイザナミノミコトと観音様の組み合わせは、その優しいお姿からイメージしやすいなあと思います。
神武天皇はこの地を訪れ瀧を発見し、この瀧を大国主命(おおくにぬしのみこと)として祀られたわけですが、那智の地にはイザナミノミコト、千手観音、大国主命に如意輪観音とありがたい神仏の輪が広がってますねー

ところで、アシュタールさんの那智に関するメッセージの中で、「サラスバティー」という神様の名前が出てきました。
日本では弁財天や弁天様として信仰されていますね。
那智大社にも青岸渡寺にもサラスバティーが祀ってあるわけではありませんが、神様や仏様といういわゆる「スピリット」には、場所的な限定はないんだということですね。
サラスバティーが那智を訪れている巡礼者をサポートして下さることも当然あり得ますし、那智大社の境内にいる時はイザナミノミコトが護って下さるけれど、隣の青岸渡寺に移動した途端、イザナミノミコトのサポートがなくなるということもありませんからね~

限定的にとらえてしまうのは、神仏などのスピリットではなく、私たち人間の方なんですね。
『スピリットはフレキシブルです(柔軟性があります)』とは、アシュタールさんが以前仰った言葉です。
八百万の神や曼荼羅に表されているような様々な仏様に対して、私たちの方から呼びかければ、そして願いを伝えれば、お一方と限らずたくさんの神仏がたちまちの内に駆けつけて下さるでしょう

それにしても青岸渡寺の如意輪観音(御前立)のたおやかなお姿は、弁財天のような雰囲気もありますね


さて、那智の瀧の姿をみていると、私には瀧が千手観音の体で、両横に群生している松の木々が千本の手のように見えてきます。
さらに水のあるところに龍がいます。
瀧という字の中に既に龍が組み込まれていますね

瀧は龍神様でもあるわけです。
瀧などの聖なる場所に神仏が宿る。
この自然崇拝とも言われる感覚は、確かな感覚なんだということを、熊野という土地は体感させてくれるのだと思います。
もう一度じっくりと巡ってみたいと思わせる、素晴らしい那智の旅でした

占星術師は古来、哲学者であり、ヒーラーであり、天の通訳でした。
基本的な占星術の知識の理解と、実際にご自分のホロスコープ等を使って、総合的に星を読む実践を積んでいきます
マンツーマンでレッスンを行っていきますので、お客様のペースに合わせて進めていくことができます。
どうぞお気軽にお問合せください
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