こんにちは(^^)
今日は『奇跡の脳』ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫 という本をご紹介したいと思います。

脳科学者(神経解剖学者)として活躍していたジル・ボルト・テイラー氏は37歳のある朝、脳出血を起こしました。
これまで気づいていなかった先天性の脳動静脈奇形(AVM)によって大量の血液が大脳の左半球にどっと吐き出され、認知能力の高い機能が失われていったのです。
「なにをしようとしてるの?助けをよぶの。ちゃんとじゅんじょだてて、たすけをもとめようとしているのよ。なにをしてるんだっけ?てじゅんをふんでたすけてもらわなきゃ。そうよ、助けをよばなくちゃ。」
彼女は脳科学者らしく自分の脳の変化を克明に記しています。
「出血中の血液が左脳の正常な機能を妨げたので、知覚は分類されず、細かいことにこだわることもなくなりました。左脳がこれまで支配していた神経線維の機能が停止したので、右脳は左脳の支配から解放されています。知覚は自分になり、意識は右脳の静けさを表現できるように変わっていきました。解放感と変容する感じに包まれて意識の中心はシータ村にいるかのようです。仏教徒なら、涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ったと言うのでしょう。」
彼女は助けを求めて職場に電話しようとしましたが、なかなか番号が思い出せません。悪戦苦闘してどうにかつながり、「もしもしジルです。たすけて」と言ったものの、ちゃんとした言葉にはなっていなかったようです。
しかし相手の同僚は状況を理解してくれたようで、彼が話す言葉の意味は分からないけれども、助けてくれることを意味する、優しい声の調子は解釈することだできたそうです。
彼女は脳卒中初日の感覚をこう伝えています。
「”自分であること”は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ個体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。」
「左脳は自分自身を、他から隔離された個体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、私の右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無限の海の中で歓喜に心を躍らせていました。」
「自分は固まりだという左脳の判断力がないため、じぶんについての認知は、本来の姿である”流れ”に戻ったのです。私たちは確かに、静かに振動する何十兆個という粒子なのです。」
左脳が出血しているためいろいろと困難なことがあります。例えば、病院スタッフの声を背景の騒音から区別できなかったそうです。
「そんなに大声でさけばれても、なにを言っているかわかんないの!こわがらないで。もっとそばにきて。やさしくして。もっとゆっくり話して。もっとハッキリはつおんして。もういっかい、おねがい、もういっかいはなして。もっと、ゆーっくり。やさしく。わたしをまもって。わかってる?わたしはバカな生きものじゃなくて、傷ついてるどうぶつなの。きずつきやすくて、こんらんしてるの。わたしが何歳だろうと、かたがきがなんだろうと、こっちにきて。バカにしないで。ここにいるから。さがしにきてほしいの」
開頭手術が決まり、乗り越えるために体力をつけるべく、2週間ほど自宅アパートに戻り母親と機能回復に努めます。
「初めの数日はこんな調子でした。いっぱい寝て、そのエネルギーのほとんどはバスルームに行ったり、食べたり、時にはちょっと寝そべっているうちに費やされます。そして次の室内行脚の時間まで眠るのです。」
「私の能力についていつも二人で話し合って「お祝い」をしました。昨日は達成できなかったことを今日はどの程度まで達成できたかを私に思い出させるのに、母は素晴らしい手腕を発揮します。できたことを理解し、そして次のレベルの目標に達するのにどんな障害が途中に待ちかまえているのかを理解する、鋭い眼力をもっていました。」
「脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。だって、できることとできないことの境目がハッキリしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。」
母親の献身的かつ適切なサポートと、大勢の人たちからもらったカードや手紙やお花に、彼女はこの身が受けた信じがたいほどの愛情を感じていました。
手術は無事成功し、5日で退院、地道なリハビリが始まりました。
「この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵をわたしは授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも脳のその部分の回路に”つなぐ”ことができるはずなのです。」
彼女は脳の回復に関する常識について、こう述べています。
「【脳卒中の後、6か月以内にもとに戻らなかったら、永遠に回復しないでしょう!】 耳にたこができるほど、お医者さんがこう口にするのを聞いてきました。でも、どうかわたしを信じてください。これは本当じゃありません。 わたしは脳卒中の後の8年というもの、自分の脳が学んで機能する能力が格段に進歩をとげたのを実感しました。」
彼女は脳卒中から4年~5年かけて足し算・引き算・掛け算・割り算ができるようになったのです。
また彼女は、脳にとって睡眠は「ファイルを作成する時間」と言い、睡眠の重要性についても述べています。
「手術後の数年というもの、脳が睡眠を必要としているのを無視すると、わたしの感覚系は悶え苦しみ、精神的にも肉体的にも消耗してしまいました。もしわたしがありきたりのリハビリ施設にいて、目の前のテレビで起こされ、薬のリタリンで覚醒され、見知らぬ人が考えたリハビリ・プログラムに従うよう強制されていたら、意識はもっと散漫になり、なにかに挑戦する気も失せていたでしょう。やはり私は睡眠、睡眠、睡眠、そして学習と認知の訓練の間をぬって、さらに睡眠をとることの利点を、声高に提唱し続けるつもりです。」
完全な回復の兆しが見えてきて、古いファイルを回収すればするほど、むかしの感情のページが表面に現れ、その根底にある神経回路が好ましいかどうかを決める必要があったと言います。
「左脳が回復するにつれ、自分の感情や環境を、他人や外部の出来事のせいにする方が自然に思われてきました。でも現実には、自分の脳以外には、誰もわたしに何かを感じさせる力などもっていないことを悟ったのです。外界のいかなるものも、わたしの心のやすらぎをとりさることができません。それは自分次第なのです。自分の人生に起きることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めることができることなのです。」
8年かけて流体のように感じていたからだの感覚が、ようやく個体の感じに戻ってきたそうです。
そして彼女は再び脳科学者として、大学で神経解剖学と人体解剖学を教えるようになり、ほかにも多岐に活動するようになりました。
大変な苦労があったと思いますが、見事にご自分の人生を成功に導いていらっしゃいますね。
脳卒中により、身体的にも、考え方においてもまさに「死と再生」を経験されたんだろうと思います。
次回は彼女が脳卒中になってひらめいたこと、「いま、ここ」に戻る方法などをご紹介したいと思います。
長い引用でしたが、最後まで読んで下さってありがとうございました(*^_^*)
今日は『奇跡の脳』ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫 という本をご紹介したいと思います。

脳科学者(神経解剖学者)として活躍していたジル・ボルト・テイラー氏は37歳のある朝、脳出血を起こしました。
これまで気づいていなかった先天性の脳動静脈奇形(AVM)によって大量の血液が大脳の左半球にどっと吐き出され、認知能力の高い機能が失われていったのです。
「なにをしようとしてるの?助けをよぶの。ちゃんとじゅんじょだてて、たすけをもとめようとしているのよ。なにをしてるんだっけ?てじゅんをふんでたすけてもらわなきゃ。そうよ、助けをよばなくちゃ。」
彼女は脳科学者らしく自分の脳の変化を克明に記しています。
「出血中の血液が左脳の正常な機能を妨げたので、知覚は分類されず、細かいことにこだわることもなくなりました。左脳がこれまで支配していた神経線維の機能が停止したので、右脳は左脳の支配から解放されています。知覚は自分になり、意識は右脳の静けさを表現できるように変わっていきました。解放感と変容する感じに包まれて意識の中心はシータ村にいるかのようです。仏教徒なら、涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ったと言うのでしょう。」
彼女は助けを求めて職場に電話しようとしましたが、なかなか番号が思い出せません。悪戦苦闘してどうにかつながり、「もしもしジルです。たすけて」と言ったものの、ちゃんとした言葉にはなっていなかったようです。
しかし相手の同僚は状況を理解してくれたようで、彼が話す言葉の意味は分からないけれども、助けてくれることを意味する、優しい声の調子は解釈することだできたそうです。
彼女は脳卒中初日の感覚をこう伝えています。
「”自分であること”は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ個体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。」
「左脳は自分自身を、他から隔離された個体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、私の右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無限の海の中で歓喜に心を躍らせていました。」
「自分は固まりだという左脳の判断力がないため、じぶんについての認知は、本来の姿である”流れ”に戻ったのです。私たちは確かに、静かに振動する何十兆個という粒子なのです。」
左脳が出血しているためいろいろと困難なことがあります。例えば、病院スタッフの声を背景の騒音から区別できなかったそうです。
「そんなに大声でさけばれても、なにを言っているかわかんないの!こわがらないで。もっとそばにきて。やさしくして。もっとゆっくり話して。もっとハッキリはつおんして。もういっかい、おねがい、もういっかいはなして。もっと、ゆーっくり。やさしく。わたしをまもって。わかってる?わたしはバカな生きものじゃなくて、傷ついてるどうぶつなの。きずつきやすくて、こんらんしてるの。わたしが何歳だろうと、かたがきがなんだろうと、こっちにきて。バカにしないで。ここにいるから。さがしにきてほしいの」
開頭手術が決まり、乗り越えるために体力をつけるべく、2週間ほど自宅アパートに戻り母親と機能回復に努めます。
「初めの数日はこんな調子でした。いっぱい寝て、そのエネルギーのほとんどはバスルームに行ったり、食べたり、時にはちょっと寝そべっているうちに費やされます。そして次の室内行脚の時間まで眠るのです。」
「私の能力についていつも二人で話し合って「お祝い」をしました。昨日は達成できなかったことを今日はどの程度まで達成できたかを私に思い出させるのに、母は素晴らしい手腕を発揮します。できたことを理解し、そして次のレベルの目標に達するのにどんな障害が途中に待ちかまえているのかを理解する、鋭い眼力をもっていました。」
「脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。だって、できることとできないことの境目がハッキリしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。」
母親の献身的かつ適切なサポートと、大勢の人たちからもらったカードや手紙やお花に、彼女はこの身が受けた信じがたいほどの愛情を感じていました。
手術は無事成功し、5日で退院、地道なリハビリが始まりました。
「この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵をわたしは授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも脳のその部分の回路に”つなぐ”ことができるはずなのです。」
彼女は脳の回復に関する常識について、こう述べています。
「【脳卒中の後、6か月以内にもとに戻らなかったら、永遠に回復しないでしょう!】 耳にたこができるほど、お医者さんがこう口にするのを聞いてきました。でも、どうかわたしを信じてください。これは本当じゃありません。 わたしは脳卒中の後の8年というもの、自分の脳が学んで機能する能力が格段に進歩をとげたのを実感しました。」
彼女は脳卒中から4年~5年かけて足し算・引き算・掛け算・割り算ができるようになったのです。
また彼女は、脳にとって睡眠は「ファイルを作成する時間」と言い、睡眠の重要性についても述べています。
「手術後の数年というもの、脳が睡眠を必要としているのを無視すると、わたしの感覚系は悶え苦しみ、精神的にも肉体的にも消耗してしまいました。もしわたしがありきたりのリハビリ施設にいて、目の前のテレビで起こされ、薬のリタリンで覚醒され、見知らぬ人が考えたリハビリ・プログラムに従うよう強制されていたら、意識はもっと散漫になり、なにかに挑戦する気も失せていたでしょう。やはり私は睡眠、睡眠、睡眠、そして学習と認知の訓練の間をぬって、さらに睡眠をとることの利点を、声高に提唱し続けるつもりです。」
完全な回復の兆しが見えてきて、古いファイルを回収すればするほど、むかしの感情のページが表面に現れ、その根底にある神経回路が好ましいかどうかを決める必要があったと言います。
「左脳が回復するにつれ、自分の感情や環境を、他人や外部の出来事のせいにする方が自然に思われてきました。でも現実には、自分の脳以外には、誰もわたしに何かを感じさせる力などもっていないことを悟ったのです。外界のいかなるものも、わたしの心のやすらぎをとりさることができません。それは自分次第なのです。自分の人生に起きることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めることができることなのです。」
8年かけて流体のように感じていたからだの感覚が、ようやく個体の感じに戻ってきたそうです。
そして彼女は再び脳科学者として、大学で神経解剖学と人体解剖学を教えるようになり、ほかにも多岐に活動するようになりました。
大変な苦労があったと思いますが、見事にご自分の人生を成功に導いていらっしゃいますね。
脳卒中により、身体的にも、考え方においてもまさに「死と再生」を経験されたんだろうと思います。
次回は彼女が脳卒中になってひらめいたこと、「いま、ここ」に戻る方法などをご紹介したいと思います。
長い引用でしたが、最後まで読んで下さってありがとうございました(*^_^*)