大阪の天王寺駅から10分程歩くと、聖徳太子が建立した四天王寺にたどり着きます。

ご本尊は救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)です。
創建は593年と言われ、大変に歴史のあるお寺ですね。
このお寺が建てられた理由についてはこのように伝えられています。
豪族の物部氏と蘇我氏との戦いがあり、聖徳太子は蘇我氏と共に戦っていました。
戦いが厳しい時に太子が四天王像を自ら彫って勝利を祈願され、もし勝つことができたら、きっと四天王をお祀りするお寺を建てると誓われました。
そして見事勝利したため、四天王寺を建てられたそうです。
こちらのお寺は、戦後「和宗」の総本山として、仏教の宗派にこだわらない立場をとっていますが、『和を以て貴しとなす』という聖徳太子の精神を大切にされているのでしょう。

南大門から入ると、仁王門⇒五重塔⇒金堂⇒講堂と、南から北へ一直線に並ぶ独特な配置の伽藍(がらん)です。
美しい建築を観ていると、本当にいにしえの世界に今いるような気がしてきます(*^-^*)

聖徳太子は仏教を日本に広めた方であり、遣隋使を派遣し、隋に日本を独立国として認めさせ、また冠位十二階や十七条憲法の制定など、日本の基礎を作った政治家であり、宗教的リーダーでもありました。
ずっと聖徳太子には惹かれていましたので、四天王寺には行きたいなあと思っていたのですが、ある時金星のアセンデッド・マスターである「アシュタール(Ashtar)」のセッションの中で聖徳太子の話になった時、何だかピン❕ときて、こう尋ねました。
「聖徳太子は、空海のスピリットの転生ですか?」
アシュタールの答えは「Yes!」だったんですねー(^O^)/
つまりある偉大なスピリットが、6世紀の後半に聖徳太子として地上に生まれてきて、それから200年の後には、空海として転生してきたということを意味します。

アシュタールいわく、「日本のスピリチュアルの世界をコントロールしてきました」
確かに聖徳太子と弘法大師空海と、日本の宗教、特に仏教における大きな変化と理解をもたらした存在ですよね。
お太子さん(おたいしさん)とお大師さん(おだいしさん)。
似てますね~)^o^(
そしてどちらも伝説が豊富。
庶民からの人気も高いですよね。
また、四天王寺では毎月21日が弘法大師空海の縁日、翌22日が聖徳太子の縁日が開かれています。
元は同じスピリットから来ている2人の偉大なマスターの縁日が、奇しくも連日で行われているというのも、とても興味深いものを感じます(*^-^*)
こちらのお寺は、聖徳太子と空海の交差点でもあるわけですね♪、
アシュタールからそういう話を聞いたものですから、もう行くしかありません(笑)

素敵な五重塔にうっとりしながら境内を歩き、金堂をお参りしました。

ちょうど僧侶の方が法要を始められ、たくさんの方がお参りされていました。
金堂中央には「救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)」。
そのご本尊の周りには、「四天王」が祀られていました。
四天王とは、仏法を守護する神で、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)をいいます。
観音様に四天王。
仏国土が広がっています。
さらに金堂の奥にある講堂をお参りしました。

こちらには、阿弥陀如来様と十一面観音様がお祀りしてありました。
大きく迫力のある仏様方ですが、静かなお堂の中で、向き合ってじっくりと祈りを捧げることができる場です。
また講堂は、聖徳太子が法華経の講義をされた場所でもありました。
はるか昔、1400年ほど前にこの講堂で太子が、法華経を講じておられる姿と神妙に聞き入っている人々の姿が目に浮かんできます。
ところで四天王寺には、聖霊院(しょうりょういん)という聖徳太子を祀るお堂があります。

「太子殿」とも言うそうですが、聖徳太子とお会いしたくてお参りしました。
奥には聖徳太子像がお祀りしてありますが、四天王寺にお参りできたこと、そして聖徳太子と会うことができたことを感謝しました。
さらに四天王寺には大師堂がありますので、お参りしました。
そのお堂の隣には、大きなお大師様の像があります。

四天王寺にて太子殿と大師堂をお参りできて、何だかとても嬉しい気持ちです(*^-^*)
聖徳太子と空海に降りてきたスピリットは、人々を助け、国家が治まるように尽力し、偉大な叡智をもたらし、教えていくということをしていますね。
空海は四天王寺で修業を行っており、縁は深いものがあったようです。
さらに日本の天台宗の開祖である伝教大師・最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)もまた、聖徳太子への信仰が厚かったといいます。

聖徳太子の人々を救済し、和をもたらすという純粋な精神が、空海や最澄、その他多くの存在に影響を与えていったということでしょう。
ところで、西門のさらに外側に石鳥居が造られています。

この鳥居は神仏習合の記憶を残すものですが、極楽浄土の入口に通じると信じられてきた鳥居でした。
そしてここは西に沈む夕陽を拝んで、極楽往生を祈る聖地でもあったそうです。
いろいろな要素を丸ごと飲み込んでいるような四天王寺。
人々の祈りを聞き届け、救済して下さっています。
四天王寺は庶民に愛され、どんな天災や人災があろうと、常に復活するお寺です。
それは、聖徳太子の純粋で温かい心が、いつまでも消えることはなく、それどころか広がっていくということを、象徴しているように思います。


ご本尊は救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)です。
創建は593年と言われ、大変に歴史のあるお寺ですね。
このお寺が建てられた理由についてはこのように伝えられています。
豪族の物部氏と蘇我氏との戦いがあり、聖徳太子は蘇我氏と共に戦っていました。
戦いが厳しい時に太子が四天王像を自ら彫って勝利を祈願され、もし勝つことができたら、きっと四天王をお祀りするお寺を建てると誓われました。
そして見事勝利したため、四天王寺を建てられたそうです。
こちらのお寺は、戦後「和宗」の総本山として、仏教の宗派にこだわらない立場をとっていますが、『和を以て貴しとなす』という聖徳太子の精神を大切にされているのでしょう。

南大門から入ると、仁王門⇒五重塔⇒金堂⇒講堂と、南から北へ一直線に並ぶ独特な配置の伽藍(がらん)です。
美しい建築を観ていると、本当にいにしえの世界に今いるような気がしてきます(*^-^*)

聖徳太子は仏教を日本に広めた方であり、遣隋使を派遣し、隋に日本を独立国として認めさせ、また冠位十二階や十七条憲法の制定など、日本の基礎を作った政治家であり、宗教的リーダーでもありました。
ずっと聖徳太子には惹かれていましたので、四天王寺には行きたいなあと思っていたのですが、ある時金星のアセンデッド・マスターである「アシュタール(Ashtar)」のセッションの中で聖徳太子の話になった時、何だかピン❕ときて、こう尋ねました。
「聖徳太子は、空海のスピリットの転生ですか?」
アシュタールの答えは「Yes!」だったんですねー(^O^)/
つまりある偉大なスピリットが、6世紀の後半に聖徳太子として地上に生まれてきて、それから200年の後には、空海として転生してきたということを意味します。

アシュタールいわく、「日本のスピリチュアルの世界をコントロールしてきました」
確かに聖徳太子と弘法大師空海と、日本の宗教、特に仏教における大きな変化と理解をもたらした存在ですよね。
お太子さん(おたいしさん)とお大師さん(おだいしさん)。
似てますね~)^o^(
そしてどちらも伝説が豊富。
庶民からの人気も高いですよね。
また、四天王寺では毎月21日が弘法大師空海の縁日、翌22日が聖徳太子の縁日が開かれています。
元は同じスピリットから来ている2人の偉大なマスターの縁日が、奇しくも連日で行われているというのも、とても興味深いものを感じます(*^-^*)
こちらのお寺は、聖徳太子と空海の交差点でもあるわけですね♪、
アシュタールからそういう話を聞いたものですから、もう行くしかありません(笑)

素敵な五重塔にうっとりしながら境内を歩き、金堂をお参りしました。

ちょうど僧侶の方が法要を始められ、たくさんの方がお参りされていました。
金堂中央には「救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)」。
そのご本尊の周りには、「四天王」が祀られていました。
四天王とは、仏法を守護する神で、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)をいいます。
観音様に四天王。
仏国土が広がっています。
さらに金堂の奥にある講堂をお参りしました。

こちらには、阿弥陀如来様と十一面観音様がお祀りしてありました。
大きく迫力のある仏様方ですが、静かなお堂の中で、向き合ってじっくりと祈りを捧げることができる場です。
また講堂は、聖徳太子が法華経の講義をされた場所でもありました。
はるか昔、1400年ほど前にこの講堂で太子が、法華経を講じておられる姿と神妙に聞き入っている人々の姿が目に浮かんできます。
ところで四天王寺には、聖霊院(しょうりょういん)という聖徳太子を祀るお堂があります。

「太子殿」とも言うそうですが、聖徳太子とお会いしたくてお参りしました。
奥には聖徳太子像がお祀りしてありますが、四天王寺にお参りできたこと、そして聖徳太子と会うことができたことを感謝しました。
さらに四天王寺には大師堂がありますので、お参りしました。
そのお堂の隣には、大きなお大師様の像があります。

四天王寺にて太子殿と大師堂をお参りできて、何だかとても嬉しい気持ちです(*^-^*)
聖徳太子と空海に降りてきたスピリットは、人々を助け、国家が治まるように尽力し、偉大な叡智をもたらし、教えていくということをしていますね。
空海は四天王寺で修業を行っており、縁は深いものがあったようです。
さらに日本の天台宗の開祖である伝教大師・最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)もまた、聖徳太子への信仰が厚かったといいます。

聖徳太子の人々を救済し、和をもたらすという純粋な精神が、空海や最澄、その他多くの存在に影響を与えていったということでしょう。
ところで、西門のさらに外側に石鳥居が造られています。

この鳥居は神仏習合の記憶を残すものですが、極楽浄土の入口に通じると信じられてきた鳥居でした。
そしてここは西に沈む夕陽を拝んで、極楽往生を祈る聖地でもあったそうです。
いろいろな要素を丸ごと飲み込んでいるような四天王寺。
人々の祈りを聞き届け、救済して下さっています。
四天王寺は庶民に愛され、どんな天災や人災があろうと、常に復活するお寺です。
それは、聖徳太子の純粋で温かい心が、いつまでも消えることはなく、それどころか広がっていくということを、象徴しているように思います。
