2016年もあっという間に一か月が過ぎようとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか(^^)
さて、2月の地球の雰囲気をお伝えしたいと思います。
2月の太陽は19日を境にみずがめ座からうお座に移っていきます。
どちらも、とてもスピリチュアルな星座ですね。
春分の牡羊座から数えて11番目の星座であるみずがめ座から、最後の12番目のうお座に移っていく時ですから、物事が仕上がっていく、または花開くためのエネルギー充てんをする期間ととらえることができます。
ハートを感じていくことが大切ですね(*^_^*)

2月8日にはみずがめ座の新月を迎えます。
この新月は宇宙の叡智やスピリットからのメッセージを受け取り、発信していくことをサポートしてくれるでしょう。
天使や妖精やマスター達と話したい、動物と話したい、ガイアの声が聴きたい、といった思いを持っている方もいらっしゃると思います。
そのような能力は何も特別な人にしか与えられていないものではありません。
ハートに集中すると何か聴こえてくるかもしれません☆
ビジョンかもしれません。またとらえようがない漠然とした感覚かもしれません。
人によって受け取り方は様々ですが、誰にでもそのような能力はもともとあるのです。
それをこの新月は感じさせてくれるでしょう。
意外とチャネリングというものを私たちは普段からしていたりするものです。
ただ自覚があるかどうかは人によりますが、スピリットや星たちは私たち一人一人に語りかけてくれています。
瞑想は落ち着いてそのメッセージを感じ取るいい機会となるでしょう♪
直感を信じることを続けていくことで、自分の能力に自信がついてくるものだと思います。
私たちは物質的な世界に浸っているために、目に見えない存在と交流し、スピリットの導きに従うといったことに慣れていないだけなのです。
これも習慣です。
目に見えない存在との交流、自分が感じたことを信じていくこと、これらも習慣になれば当然のことと感じられるようになるでしょう。
私たちは、自分で思っている以上に様々なメッセージを受け取り、それに従って行動しているのだと思います。
素晴らしいつながりを感じられますように(*^_^*)

さて、2月23日はおとめ座の満月ですね♪
この満月は広くそして差別なく分かち合っていこうというエネルギーが降り注ぐでしょう。
素晴らしいですね(^_-)
芸術や神秘的な叡智を分かち合っていくこと。
厳しい状況にあれば、むしろ燃えてくるかもしれません。
自分の中のどのような能力や資質を使っていけば貢献できるだろうか?
自己探求の意識も高まるでしょう。
そしてご自分の進むべき道を見極めていかれるでしょう。
この満月は決断力を与えてくれます。
奉仕は、報酬があってもなくても、ハートから出た行動かどうかということが大切です。
2月はまだまだ寒いですが、立春が来て、梅が咲いて、春の訪れの期待を持たせてくれますね。
今年はうるう年です。
例年より一日長く2月を体験できますね。
皆様にとって、素敵な月となりますようにお祈りします☆




みなさんこんばんは
今回は魂のあり方についてのソクラテスの議論を、ご紹介していきたいと思います。
【 『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)参考 】
ソクラテスは言います。もしも、魂が肉体を避け、自分自身へと集中していたならば、魂は肉体的な要素を少しも持つことはない、と。
そして肉体を避け自分自身へと集中することこそが、正しく哲学することであり、それは真実に平然と死ぬことを練習することに他ならない、と言います。(同書P79)
これに反して魂が汚れたまま浄められずに肉体から解放されることがあり、そういう魂は、肉体的な姿をしたもの、人が触ったり、見たり、飲んだり、食べたり、性の快楽のために用いたりするもの、こういったものを真実と思ってしまう、と言います。
これは絶えず肉体と共にあるために肉体に習熟してしまったためである、とも。
そしてこういう魂は肉眼には見えないが、知性によってとらえられ、また哲学によって把握されるようなものを憎み、恐れ、避けるように習慣づけられるとも言っています。
そしてソクラテスは、この肉体的なものは“重荷”である、と言います。
このような魂は、肉体的なものの欲望によって、再び肉体の中に巻き込まれるまで、さまよい続け、当然のごとく彼らは、生前自分たちが実践してきたような性格の中へ、入り込むのである、ということを弟子に伝えます。(P80~82)

哲学は自分自身へと集中する練習であり、そうすることはつまり、肉体にとらわれることなく、平然と死ぬことを練習しているようなものであるということになりますね。
肉体にとらわれていると、平然と死ぬことも難しいでしょう。どうしても肉体を去ることが怖くなってしまいますからね。
ここで誤解して頂きたくないのですが、ソクラテスは自殺に関しては勧めていませんし、肯定もしていません。
ソクラテスは言っています。われわれ人間はある牢獄の中にいて、そこから自分自身を解放して逃げ出してはならないのだ、と。
神々は、われわれ人間を配慮するものであり、人間は神々の所有物の1つである。
そのため、何らかの必然を神が送るまでは、自分自身を殺してはいけない、ということなんですね。(P24)
それでは、どのような魂があの世で歓迎されるのでしょうか?
次回をどうぞお楽しみに(^<^)

今回は魂のあり方についてのソクラテスの議論を、ご紹介していきたいと思います。
【 『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)参考 】
ソクラテスは言います。もしも、魂が肉体を避け、自分自身へと集中していたならば、魂は肉体的な要素を少しも持つことはない、と。
そして肉体を避け自分自身へと集中することこそが、正しく哲学することであり、それは真実に平然と死ぬことを練習することに他ならない、と言います。(同書P79)
これに反して魂が汚れたまま浄められずに肉体から解放されることがあり、そういう魂は、肉体的な姿をしたもの、人が触ったり、見たり、飲んだり、食べたり、性の快楽のために用いたりするもの、こういったものを真実と思ってしまう、と言います。
これは絶えず肉体と共にあるために肉体に習熟してしまったためである、とも。
そしてこういう魂は肉眼には見えないが、知性によってとらえられ、また哲学によって把握されるようなものを憎み、恐れ、避けるように習慣づけられるとも言っています。
そしてソクラテスは、この肉体的なものは“重荷”である、と言います。
このような魂は、肉体的なものの欲望によって、再び肉体の中に巻き込まれるまで、さまよい続け、当然のごとく彼らは、生前自分たちが実践してきたような性格の中へ、入り込むのである、ということを弟子に伝えます。(P80~82)

哲学は自分自身へと集中する練習であり、そうすることはつまり、肉体にとらわれることなく、平然と死ぬことを練習しているようなものであるということになりますね。
肉体にとらわれていると、平然と死ぬことも難しいでしょう。どうしても肉体を去ることが怖くなってしまいますからね。
ここで誤解して頂きたくないのですが、ソクラテスは自殺に関しては勧めていませんし、肯定もしていません。
ソクラテスは言っています。われわれ人間はある牢獄の中にいて、そこから自分自身を解放して逃げ出してはならないのだ、と。
神々は、われわれ人間を配慮するものであり、人間は神々の所有物の1つである。
そのため、何らかの必然を神が送るまでは、自分自身を殺してはいけない、ということなんですね。(P24)
それでは、どのような魂があの世で歓迎されるのでしょうか?
次回をどうぞお楽しみに(^<^)
みなさんおはようございます(^<^)
水星の動きが1月4日より留まり、そして逆行を見せていましたが、25日の午前中に逆行から止まって見える状態へと移り、27日の朝には“順行”へと戻りました。

この水星逆行の時期はカルマを解放するいい時期でもあります。
4日からの逆行の時期を振り返ってみて、何か変化はありましたか?
思いぐせやとらわれていることが表面化してきて、改めて気づかされるようなことがあったでしょうか?
またはこれが私の思いぐせなんだと気づくことがありましたか?
不満や怒りが沸々と湧いてきた、という方もいらっしゃるかもしれません。
過去のトラブルを解決、和解するようなことが気持ちが起きたでしょうか?
とらわれていることを一つでも手放すことができたら、それはとても素晴らしいことですね(^^)
せっかく自由にのびのびとやっていこうと思ったり、世界を広げていこうと思っていたところ、これまでの限られた世界に後戻りしなければならなかったようなことが、もしかしたらあったかもしれません。
それは後退のように感じられるかもしれませんが、しっかりと足元を固めるため、そして自由にワクワク生きるという自分の意思を再度確認するため、というふうにとらえると学ぶことがあるかもしれません。
水星逆行の期間はバランスを調整する期間と考えるといいかもしれませんね。
過去と現在、肉体と精神などの調整期間と思えばかえって重要な期間とみなせます。
水星が順行に戻って、皆様がさらなる飛躍を遂げられることをお祈りします☆
今日の午前10:45に満月を迎えます(^.^)
月はしし座に位置していますね。
やさしいハートがあります(*^_^*)
自分にできること、自分にふさわしい方法で奉仕することができます。
人に対して、自然や動物に対して、目に見えない存在に対して、対象もそれぞれですし、方法もまたそれぞれです。
自分の使命を果たしたい。そう感じている方も多いでしょう。
何をするために地上に生まれてきたのだろう?
これは生涯にわたって探究するテーマとなるかもしれません。
もしかしたら、何かをもたらすために私たちは地上に降りてきたのかもしれません。
何をもたらすか。人それぞれ、その人らしいギフトを持って生まれてきたのではないでしょうか。
笑顔、やさしい言葉、ちょっとした思い遣り...今日何か一つ自分のギフトを与えることができたら、それはとっても素晴らしいことですね(^_-)
純粋に、そして勤勉に奉仕することをこの満月はサポートしてくれるでしょう。
それは何も大がかりである必要はありません。
自分に今できることで充分ですね。
例えばマザーテレサの偉業も、その時にできることを積み重ねていかれた結果なのだと思います。
奉仕の気持ちを改めて思い出させてくれる聖フランチェスコの『平和の祈り』をご紹介したいと思います。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、許すから許され、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
自分のギフトを分かち合っていく時、私たちは“自分を表現する”ということが、できているのだろうと思います☆
素晴らしい満月のエネルギーのサポートがあります。
皆様に天使やマスターと共に祝福を贈ります(^.^)
月はしし座に位置していますね。
やさしいハートがあります(*^_^*)
自分にできること、自分にふさわしい方法で奉仕することができます。
人に対して、自然や動物に対して、目に見えない存在に対して、対象もそれぞれですし、方法もまたそれぞれです。
自分の使命を果たしたい。そう感じている方も多いでしょう。
何をするために地上に生まれてきたのだろう?
これは生涯にわたって探究するテーマとなるかもしれません。
もしかしたら、何かをもたらすために私たちは地上に降りてきたのかもしれません。
何をもたらすか。人それぞれ、その人らしいギフトを持って生まれてきたのではないでしょうか。
笑顔、やさしい言葉、ちょっとした思い遣り...今日何か一つ自分のギフトを与えることができたら、それはとっても素晴らしいことですね(^_-)
純粋に、そして勤勉に奉仕することをこの満月はサポートしてくれるでしょう。
それは何も大がかりである必要はありません。
自分に今できることで充分ですね。
例えばマザーテレサの偉業も、その時にできることを積み重ねていかれた結果なのだと思います。
奉仕の気持ちを改めて思い出させてくれる聖フランチェスコの『平和の祈り』をご紹介したいと思います。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、許すから許され、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
自分のギフトを分かち合っていく時、私たちは“自分を表現する”ということが、できているのだろうと思います☆
素晴らしい満月のエネルギーのサポートがあります。
皆様に天使やマスターと共に祝福を贈ります(^.^)
熊本もどんどん寒くなってきてますね。恐るべし大寒波
さて、今日も『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)を通してソクラテス、そして著者のプラトンの叡智を探究していきたいと思います。
死後にも生まれる前と同様に魂は存続するという証明が展開をしていく中で、知恵のあり方について迫っていきます。

まずソクラテスは“目に見えるもの“と”目に見えないもの“という2種類の存在のあり方を立てます。
そして、“目に見えないもの”はいつも同じあり方を保って、“目に見えるもの”は決して同じあり方を保たないと決めます。
そして私たち自身の一部分は肉体であり、他の部分は魂ですが、肉体は2種類のあり方のどちらにより似ているかを弟子のケベスに尋ねます。
肉体は“目に見えるもの“により近いとケベスは答えます。
では、魂はどうかと聞かれると、“目に見えないもの”と答えます。
ところで、魂は何かを考える時に、見たり聞いたり、何か他の感覚を通して、肉体の助けを借りて行うわけですが、その時、魂は肉体によって一時も同じあり方を保たない方へと引きずり込まれ、魂自身がさまよい、混乱し、酔ったようになってめまいを覚えるものだとソクラテスは言います。
しかし、「魂が自分自身だけで考える時には、魂は純粋で、永遠で、不死で、同じようにあるものの方へと赴く。そして魂はそのようなものと親族なのだから、魂が純粋に自分自身だけになる場合は、さまようことを止め、永遠的なものと関わりながら、いつも同じあり方を保つ。なぜなら、魂はそういうものに触れるからである。そして、魂のこの状態こそが『知恵(フロネーシス)』と呼ばれるのではないか」(同P76)と、知恵と呼べる魂の状態について述べています。
知恵とは魂が肉体に捕われていない状態であり、のびのびと本来の魂らしくある状態ということでしょう。
肉体から魂を自由にすることが求められます。それについてソクラテスはさらに説明してくれます。
どうぞ続きをお楽しみに(^_-)

さて、今日も『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)を通してソクラテス、そして著者のプラトンの叡智を探究していきたいと思います。
死後にも生まれる前と同様に魂は存続するという証明が展開をしていく中で、知恵のあり方について迫っていきます。

まずソクラテスは“目に見えるもの“と”目に見えないもの“という2種類の存在のあり方を立てます。
そして、“目に見えないもの”はいつも同じあり方を保って、“目に見えるもの”は決して同じあり方を保たないと決めます。
そして私たち自身の一部分は肉体であり、他の部分は魂ですが、肉体は2種類のあり方のどちらにより似ているかを弟子のケベスに尋ねます。
肉体は“目に見えるもの“により近いとケベスは答えます。
では、魂はどうかと聞かれると、“目に見えないもの”と答えます。
ところで、魂は何かを考える時に、見たり聞いたり、何か他の感覚を通して、肉体の助けを借りて行うわけですが、その時、魂は肉体によって一時も同じあり方を保たない方へと引きずり込まれ、魂自身がさまよい、混乱し、酔ったようになってめまいを覚えるものだとソクラテスは言います。
しかし、「魂が自分自身だけで考える時には、魂は純粋で、永遠で、不死で、同じようにあるものの方へと赴く。そして魂はそのようなものと親族なのだから、魂が純粋に自分自身だけになる場合は、さまようことを止め、永遠的なものと関わりながら、いつも同じあり方を保つ。なぜなら、魂はそういうものに触れるからである。そして、魂のこの状態こそが『知恵(フロネーシス)』と呼ばれるのではないか」(同P76)と、知恵と呼べる魂の状態について述べています。
知恵とは魂が肉体に捕われていない状態であり、のびのびと本来の魂らしくある状態ということでしょう。
肉体から魂を自由にすることが求められます。それについてソクラテスはさらに説明してくれます。
どうぞ続きをお楽しみに(^_-)
みなさん寒い中お元気ですか?
冬でいいなと思うことは、星がきれいに見えることと、鍋がおいしいこと♪
今の季節、頭の上を見上げると“プレアデス星団”が美しく輝いて見えていますね。
おうし座の肩先にもやもやっと星の集まりが見えます。それがプレアデス星団です。
日本では“昴(すばる)”と呼ばれてきました。


歌や自動車のブランド名にもなっていますが、すばるは“統ばる“と書き、たくさんのものを結んで集めるというような意味があるそうです。
プレアデスはセブン・シスターズとも言われます。仲がよく結びつきの強い七人の姉妹。
それは神話にも残されています。『星の神話・伝説図鑑』(藤井旭著 ポプラ社)参照
【ある夕暮れにインディアンの若者が森の中を歩いていると娘たちの笑い声が聞こえてきました。
そっとのぞいてみると七人の娘たちが川べりで遊んでいます。
「なんてきれいなんだ(#^.^#)」
若者が見とれていると、空からなんとカゴが降りてきました。
「楽しかった♪さあ帰りましょう」
七人の姉妹はそのカゴに乗ってあっという間に天に昇っていきました。
このようなことが何日も続くうちに、若者は末の娘に恋しちゃったのでした☆
そしてしのび足で近寄り、パッとその娘をつかまえていいました。
「どうか、結婚して下さいm(__)m」
愛する気持ちを懸命に訴えて、娘もとうとう受け入れました。
「でも、結婚するには天上で暮らさないといけません。そのためにはこの地上を離れないと…」
若者の決心はかたいものでした。
「もちろんです(^_-)」
そして七人の娘たちと一緒にカゴに乗って空へと昇っていきました。
この七人姉妹がプレアデス星団で、恋に生きたインディアンの若者がオリオン座となったそうです。】
カゴに乗って昇天していくというのは、まるでアセンションのプロセスを表しているかのようにも思えますが、乗ってみたいものですね~(^<^)
プレアデス星団をみて、何か興味を惹かれるなあと感じる方はきっとご縁があるでしょうね。
プレアデスとの縁の強い方はヒーリング、芸術、心理学等の素晴らしい才能をお持ちでしょう。
このプレアデス星団で一番明るい星であるアルシオネ(Alcyone)は、女性らしさを象徴する星です。
女性らしいしなやかさ、ふるまい。
例えばベリーダンスなどは女性らしさを表す踊りですね。
フラダンスも美しい。
それから日本の芸者さんも美しい所作(しょさ)を見せてくれますよね。
踊りは神とつながる、または神に捧げるものとしての意味が古来よりあったように思います。
巫女の舞はまさにそれですね。
恒星占星術のリーディングでアルシオネとつながりのある方にお話を伺うと、踊りに興味があったり、実際になさっていたりする方も少なくありません。
中には“女性らしさ“と聞いて「ぷっ!」と笑う方もいらっしゃいますけれども(^.^)
ですが確かにその方々は豊かな“女性らしさ“をお持ちなのです。
ただご本人がそのことに気づいてらっしゃるかどうかは別として(^^)
人類をサポートしてくれるプレアデス星団。
その美しさに寒さも忘れます。
今日も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました☆
皆様に天使とマスターと共に祝福を贈ります♪
冬でいいなと思うことは、星がきれいに見えることと、鍋がおいしいこと♪
今の季節、頭の上を見上げると“プレアデス星団”が美しく輝いて見えていますね。
おうし座の肩先にもやもやっと星の集まりが見えます。それがプレアデス星団です。
日本では“昴(すばる)”と呼ばれてきました。


歌や自動車のブランド名にもなっていますが、すばるは“統ばる“と書き、たくさんのものを結んで集めるというような意味があるそうです。
プレアデスはセブン・シスターズとも言われます。仲がよく結びつきの強い七人の姉妹。
それは神話にも残されています。『星の神話・伝説図鑑』(藤井旭著 ポプラ社)参照
【ある夕暮れにインディアンの若者が森の中を歩いていると娘たちの笑い声が聞こえてきました。
そっとのぞいてみると七人の娘たちが川べりで遊んでいます。
「なんてきれいなんだ(#^.^#)」
若者が見とれていると、空からなんとカゴが降りてきました。
「楽しかった♪さあ帰りましょう」
七人の姉妹はそのカゴに乗ってあっという間に天に昇っていきました。
このようなことが何日も続くうちに、若者は末の娘に恋しちゃったのでした☆
そしてしのび足で近寄り、パッとその娘をつかまえていいました。
「どうか、結婚して下さいm(__)m」
愛する気持ちを懸命に訴えて、娘もとうとう受け入れました。
「でも、結婚するには天上で暮らさないといけません。そのためにはこの地上を離れないと…」
若者の決心はかたいものでした。
「もちろんです(^_-)」
そして七人の娘たちと一緒にカゴに乗って空へと昇っていきました。
この七人姉妹がプレアデス星団で、恋に生きたインディアンの若者がオリオン座となったそうです。】
カゴに乗って昇天していくというのは、まるでアセンションのプロセスを表しているかのようにも思えますが、乗ってみたいものですね~(^<^)
プレアデス星団をみて、何か興味を惹かれるなあと感じる方はきっとご縁があるでしょうね。
プレアデスとの縁の強い方はヒーリング、芸術、心理学等の素晴らしい才能をお持ちでしょう。
このプレアデス星団で一番明るい星であるアルシオネ(Alcyone)は、女性らしさを象徴する星です。
女性らしいしなやかさ、ふるまい。
例えばベリーダンスなどは女性らしさを表す踊りですね。
フラダンスも美しい。
それから日本の芸者さんも美しい所作(しょさ)を見せてくれますよね。
踊りは神とつながる、または神に捧げるものとしての意味が古来よりあったように思います。
巫女の舞はまさにそれですね。
恒星占星術のリーディングでアルシオネとつながりのある方にお話を伺うと、踊りに興味があったり、実際になさっていたりする方も少なくありません。
中には“女性らしさ“と聞いて「ぷっ!」と笑う方もいらっしゃいますけれども(^.^)
ですが確かにその方々は豊かな“女性らしさ“をお持ちなのです。
ただご本人がそのことに気づいてらっしゃるかどうかは別として(^^)
人類をサポートしてくれるプレアデス星団。
その美しさに寒さも忘れます。
今日も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました☆
皆様に天使とマスターと共に祝福を贈ります♪
こんばんは(*^_^*)
1月も半月が経ちました。早いものですね!
さて、前回に引き続き古代ギリシャの哲学者ソクラテスによる“魂の不滅”についての考え方を、紹介させていただきたいと思います。
ソクラテスは魂の不滅について「想起(そうき)説」からも説明しています。
想起とは、思い出すという意味ですが、私たちは生まれる前に既に知識を得ており、地上に生まれる時にはそれを失ってしまいますが、そこから知識の対象について五感を使いながら、生まれる以前に知っていた“その知識“を再び把握するのだということですね。
そして、私たちが『学ぶこと』と呼んでいるものは、もともと自分のものであった知識をを再び把握することであり、それが「想起すること」であると言います。
日々の生活の中で、見るもの、聞くもの、触れるものなどをきっかけに私たちはもともと持っていた真実の知識(イデア)を思い出すのだということですね。
では「イデア」とはどのようなものでしょうか?
『まさにそのもの』、『原型』といえるものということですが、私たちに浮かんでくるイメージや感覚といってもいいかもしれません。
たとえば、地面から生えているものをみて「これは木だ」と思う時というのは、既に自分の中に“木”の原型のイメージがあって、それと似ているので「これは木だ」と思うわけですね。
また『美』や『善』、『徳』といった感覚も生まれる前から既に私たちは持っていて、様々な体験をする中で、この考えや行いは『善そのもの』であると思ったり、『善』ではないと思ったりしますね。
また何かを見ては『美そのもの』と感じたり、『美』ではないと思ったり、ちょっと欠けていると思ったりします。
私たちが感じたり考えたりする時の根本的な基準となる何か(イデア)を、生まれてくる前に既に持っているということをソクラテスはこのように言っています。
『魂は人間の形の中に入るまえにも、肉体から離れて存在していたのであり、知力をもっていたのだ』【『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)P66】

私たちは家庭や学校で「木」や「石」とはどういうものかを教えられたり、見たり触れたりして覚えていきます。
また美しい音楽や絵画なども学ぶことができます。
さらにしていいこと、悪いことといった道徳も学んでいきます。
ですが特に教えられずとも私たちの魂は既に知っていると感じることがあります。
例えば美しい自然を見て感動したり、鳥のさえずりをきれいだと感じたり、聖地や神社仏閣にお参りに行っては心がすがすがしくなったりしますね。
また自分が情熱を感じることや、これが正義だと思い行動することも、イデアに基づいている可能性があります。
教育で学ぶことや、日常生活の体験から学ぶことは、もともと魂が知っていることを再確認して、思い出すのを助けていること、というのが想起説の考え方ですね。
イデアをうまく思い出させるための教え方というものがとても大切になってきます。
たとえば『正義』というイデアをどのようにとらえて教えるのか。
正義は平等・公平の意味を持たなければなりません。
自分や自分たちの思いを通すための大義(たいぎ)が必ずしも『正義』と言えるとは限りません。
その『正義』の意味が公平と言う意味をもっているかどうか、価値を平等にみているのかどうか、そういうことが重要になってくると思います。
自分に対して、そして他人に対して正義をどのように教えるかは、真実の知識への橋渡しとなるか、それとも真実の知識とは遠く離れてしまうことになるのかの分かれ道となり得ます。
イデアに近づくのか、遠ざかっていくのか、これはとても重要な問題です。
なぜなら、イデアを探究して、近づいていくことが哲学の目的だからです。
“魂の不滅”についてのソクラテスと弟子たちの思索はまだ続きます(^<^)
今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました☆
1月も半月が経ちました。早いものですね!
さて、前回に引き続き古代ギリシャの哲学者ソクラテスによる“魂の不滅”についての考え方を、紹介させていただきたいと思います。
ソクラテスは魂の不滅について「想起(そうき)説」からも説明しています。
想起とは、思い出すという意味ですが、私たちは生まれる前に既に知識を得ており、地上に生まれる時にはそれを失ってしまいますが、そこから知識の対象について五感を使いながら、生まれる以前に知っていた“その知識“を再び把握するのだということですね。
そして、私たちが『学ぶこと』と呼んでいるものは、もともと自分のものであった知識をを再び把握することであり、それが「想起すること」であると言います。
日々の生活の中で、見るもの、聞くもの、触れるものなどをきっかけに私たちはもともと持っていた真実の知識(イデア)を思い出すのだということですね。
では「イデア」とはどのようなものでしょうか?
『まさにそのもの』、『原型』といえるものということですが、私たちに浮かんでくるイメージや感覚といってもいいかもしれません。
たとえば、地面から生えているものをみて「これは木だ」と思う時というのは、既に自分の中に“木”の原型のイメージがあって、それと似ているので「これは木だ」と思うわけですね。
また『美』や『善』、『徳』といった感覚も生まれる前から既に私たちは持っていて、様々な体験をする中で、この考えや行いは『善そのもの』であると思ったり、『善』ではないと思ったりしますね。
また何かを見ては『美そのもの』と感じたり、『美』ではないと思ったり、ちょっと欠けていると思ったりします。
私たちが感じたり考えたりする時の根本的な基準となる何か(イデア)を、生まれてくる前に既に持っているということをソクラテスはこのように言っています。
『魂は人間の形の中に入るまえにも、肉体から離れて存在していたのであり、知力をもっていたのだ』【『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)P66】

私たちは家庭や学校で「木」や「石」とはどういうものかを教えられたり、見たり触れたりして覚えていきます。
また美しい音楽や絵画なども学ぶことができます。
さらにしていいこと、悪いことといった道徳も学んでいきます。
ですが特に教えられずとも私たちの魂は既に知っていると感じることがあります。
例えば美しい自然を見て感動したり、鳥のさえずりをきれいだと感じたり、聖地や神社仏閣にお参りに行っては心がすがすがしくなったりしますね。
また自分が情熱を感じることや、これが正義だと思い行動することも、イデアに基づいている可能性があります。
教育で学ぶことや、日常生活の体験から学ぶことは、もともと魂が知っていることを再確認して、思い出すのを助けていること、というのが想起説の考え方ですね。
イデアをうまく思い出させるための教え方というものがとても大切になってきます。
たとえば『正義』というイデアをどのようにとらえて教えるのか。
正義は平等・公平の意味を持たなければなりません。
自分や自分たちの思いを通すための大義(たいぎ)が必ずしも『正義』と言えるとは限りません。
その『正義』の意味が公平と言う意味をもっているかどうか、価値を平等にみているのかどうか、そういうことが重要になってくると思います。
自分に対して、そして他人に対して正義をどのように教えるかは、真実の知識への橋渡しとなるか、それとも真実の知識とは遠く離れてしまうことになるのかの分かれ道となり得ます。
イデアに近づくのか、遠ざかっていくのか、これはとても重要な問題です。
なぜなら、イデアを探究して、近づいていくことが哲学の目的だからです。
“魂の不滅”についてのソクラテスと弟子たちの思索はまだ続きます(^<^)
今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました☆
『 魂は不滅 !? 』
おはようございます(^<^)
寒い中いかがお過ごしでしょうか?
さて、果たして魂は不滅なのかどうか、というとても大きな問題に対して答えてくれた先人がいます。
その偉大なマスターとは古代ギリシャの哲学者「ソクラテス」です(^.^)

ソクラテスは紀元前469年頃~399年にギリシャで活躍としたと言われています。
宇宙の叡智を人々に広く分かち合っていましたが、「国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という理由で裁判にかけられて、ついには死刑の宣告を受けました。
キリストとの共通点を感じますが、偉大なマスターは多くの困難を乗り越えていくものですね。
毒をあおって亡くなる直前に弟子たち(シミアスとケベス)と議論した内容が“魂の不滅”についてでした。
その内容は『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)に書かれてます。
ソクラテスは魂の不滅を証明するための根拠を探究していきます。
その証明の中の1つについてご紹介しましょう。
ソクラテスはケベスに対して語りかけます。
(『パイドン』P48~引用)
ソクラテス(以下ソ)「たとえば、美が醜に反対であり、正が不正に反対であり、その他無数のものがそのような関係にあるのだが――そういうものにおいては、その一方は反対である他方からしか生じえないのだ、ということを」
そして彼はこのことを考察するためにいくつか例を挙げていきます。
たとえば、何かがより大きくなる時には必ず、その前により小さな状態にあって、そこからより大きくなるということや、その反対にそれがより小さくなるならば、以前のより大きな状態から後により小さくなるということを。
さらになにかがより悪くなるならば、それはより良い状態からであり、より正しくなるならば、より不正な状態からということを。
ソクラテスが言います。「すべての者は、反対のものが反対のものからという仕方で、生成するのだ、と」(同P49)
ちょっと頭がクラクラしてくるかもしれませんが(笑)、もう少しのお付き合いを♪
そこでケベスに問いかけます。
(P50)ソ「生きていることに対してなにか反対のものがあるかね。」
ケベス(以下ケ)「もちろん、ありますとも」
ソ「何だ」
ケ「死んでいることです」
(P51)ソ「君は死んでいることが生きていることに対して反対である、と言うのではないか」
ケ「そう言います」
ソ「それらはお互いから生ずるのだね」
ケ「はい」
ソ「では、生きているものから生ずるものは何か」
ケ「死んでいるものです」
ソ「死んでいるものからは何が生ずるのか」
ケ「生きているものが、と同意せざるをえません」
ソ「それなら、ケベス、死んでいるものたちから、生きているものたちや生きている人間たちが生まれるのだね」
ケ「そう思われます」
ソ「そうであれば、われわれの魂はハデス(冥界)に存在していることになる」
ケ「そのようです」
その後ソクラテスはとても興味深いことを話します。
それは、もし生を受けたものがすべて死んでゆき、死者はその状態に留まって再び生き返らないとするならば、最後には万物が死んで生きているものは何もなくなってしまうという話です。
ソクラテスが言います。(P54)「生き返るということも、生者が死者から生まれるということも、死者たちの魂が存在するということも、本当に有ることなのだ」
魂の不滅についての証明はほかにもありますので、続きは次回に☆
おはようございます(^<^)
寒い中いかがお過ごしでしょうか?
さて、果たして魂は不滅なのかどうか、というとても大きな問題に対して答えてくれた先人がいます。
その偉大なマスターとは古代ギリシャの哲学者「ソクラテス」です(^.^)

ソクラテスは紀元前469年頃~399年にギリシャで活躍としたと言われています。
宇宙の叡智を人々に広く分かち合っていましたが、「国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という理由で裁判にかけられて、ついには死刑の宣告を受けました。
キリストとの共通点を感じますが、偉大なマスターは多くの困難を乗り越えていくものですね。
毒をあおって亡くなる直前に弟子たち(シミアスとケベス)と議論した内容が“魂の不滅”についてでした。
その内容は『パイドン』(プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫)に書かれてます。
ソクラテスは魂の不滅を証明するための根拠を探究していきます。
その証明の中の1つについてご紹介しましょう。
ソクラテスはケベスに対して語りかけます。
(『パイドン』P48~引用)
ソクラテス(以下ソ)「たとえば、美が醜に反対であり、正が不正に反対であり、その他無数のものがそのような関係にあるのだが――そういうものにおいては、その一方は反対である他方からしか生じえないのだ、ということを」
そして彼はこのことを考察するためにいくつか例を挙げていきます。
たとえば、何かがより大きくなる時には必ず、その前により小さな状態にあって、そこからより大きくなるということや、その反対にそれがより小さくなるならば、以前のより大きな状態から後により小さくなるということを。
さらになにかがより悪くなるならば、それはより良い状態からであり、より正しくなるならば、より不正な状態からということを。
ソクラテスが言います。「すべての者は、反対のものが反対のものからという仕方で、生成するのだ、と」(同P49)
ちょっと頭がクラクラしてくるかもしれませんが(笑)、もう少しのお付き合いを♪
そこでケベスに問いかけます。
(P50)ソ「生きていることに対してなにか反対のものがあるかね。」
ケベス(以下ケ)「もちろん、ありますとも」
ソ「何だ」
ケ「死んでいることです」
(P51)ソ「君は死んでいることが生きていることに対して反対である、と言うのではないか」
ケ「そう言います」
ソ「それらはお互いから生ずるのだね」
ケ「はい」
ソ「では、生きているものから生ずるものは何か」
ケ「死んでいるものです」
ソ「死んでいるものからは何が生ずるのか」
ケ「生きているものが、と同意せざるをえません」
ソ「それなら、ケベス、死んでいるものたちから、生きているものたちや生きている人間たちが生まれるのだね」
ケ「そう思われます」
ソ「そうであれば、われわれの魂はハデス(冥界)に存在していることになる」
ケ「そのようです」
その後ソクラテスはとても興味深いことを話します。
それは、もし生を受けたものがすべて死んでゆき、死者はその状態に留まって再び生き返らないとするならば、最後には万物が死んで生きているものは何もなくなってしまうという話です。
ソクラテスが言います。(P54)「生き返るということも、生者が死者から生まれるということも、死者たちの魂が存在するということも、本当に有ることなのだ」
魂の不滅についての証明はほかにもありますので、続きは次回に☆
みなさんこんにちは(*^_^*)
2016年の最初の新月となりますが、この新月はご自分の活動をさらに発展させるための安定した基盤作りを行うことができる時です。
しかしややもすると、頑固になってしまう可能性もありますので、他者がある場合は他者がどう感じているかということも考慮に入れる柔軟性を持って、協調の美徳を発揮していかれると素晴らしいですね♪
自己を主張することも、他者の言動を受け容れることに関しても、どちらも自身の自己価値がどのようであるかが重要となってきます。
自信を持って主張できるかどうか、また他者の言動で自分が大きく動揺してしまわないためにも自己価値がどうであるかが大切になってきます。
このやぎ座の新月のエネルギーをあなたの自己価値を高めるために活用していくことは、とても素晴らしいことです(^<^)
素敵な一日をお過ごしください☆





こんばんは(^_^)
今夜(1/6)より水星が逆行を始めます。
これは1月25日まで続きます。
水星は地球より内側を回っており、古来より身近な存在です。
そして太陽の周りを約88日間で一周する動きの速い惑星です。
その水星が逆方向に動くというのは、私たちを惑わせるんですね。
水星逆行の時期は重要な決断や契約ごとなどは慎重に考えた方がよいと言われています。
水星は思考を意味する星でもあります。
逆行期は落ち着いた判断を心掛けることがミスを予防することにつながるでしょう。
その反面、これまでを振り返り考え直したり、過去からの教訓を得たりするのにはいい時期とも考えられます。
この時期は行動を焦らずに、慎重に考えたり、勉強したりして穏やかに過ごすのもいいですね。
今回は水星が主に山羊座を逆行していきます。
活動が空回りにならないように、その活動の根拠を確認しながら進めていくとよいでしょう。
1月14日には水星と太陽が重なり、1月22日には水星と冥王星が重なります。
2016年も冥王星と天王星による変容のエネルギーが、去年に引き続き降り注がれていますが、そこに逆行する水星も関わってきますので、なにか変化が停滞したような感覚、もしくは何が起きているのかわからないという感覚があるかもしれません。
しかし水星逆行は25日で終わりますので、落ち着いて考え行動することで、また状況がよく見えてくるようになるでしょう。
ご自分の出生時のホロスコープの中で水星がどのハウスを支配しているか、それはつまり、双子座と乙女座がどのハウスを支配しているかということですが、そのハウスが表す領域というのは、逆行の時にはいつも注意をした方が無難でしょう。
それから逆行の水星が現在、ご自分の出生図と照らし合わせてどのハウスを運行しているかを観ることも、より詳しくご自分にとっての逆行の影響を予測できるでしょう。
水星逆行は決して水星が悪さをするという意味ではありません。
ただこの時期はいつにも増して、自分自身の中心にいることが大切だと思います。
運気・運勢というのも、右肩上がりで進んでいくばかりでは疲れてしまいます。
水星逆行の時期は一息ついて地に足を着けるいい機会だと思えば、この時期を前向きに活かしていくことができるでしょう。
そうすることで、次の一歩のためにエネルギーを蓄えることができます。
そして大きく踏み出せるのです。
皆様にとって1月が心穏やかに過ごせますように、水星の神ヘルメスと共に祈っております☆
