みなさんこんばんは

高知県物部村(現在の香美市)の険しい山村に「いざなぎ流」と呼ばれる独特に発展した信仰が息づいています。

『「いざなぎ」とは、いざなぎ流の起源を物語る「いざなぎ祭文」に登場する「いざなぎ様(大神)」に由来します。
その祭文には、日本に生まれ経文の修行を始めた占い上手の「天中姫宮(てんちゅうひめみや)」が人を救うための祈祷(呪術)を求めて天竺にわたり、「いざなぎ大神」から人形祈祷や弓祈祷などの祈祷法を習い日本に伝えた、ということが語られています。』
【香美市HP( http://www.city.kami.kochi.jp/soshiki/54/izanagiryu.html )より引用 】
日本神話に出てくるイザナギ(伊邪那岐命)とは関係がないようです。
いざなぎ流の祭儀は太夫(たゆう)と呼ばれる祈り人(神職)が行いますが、太夫になるためには師匠について種々の祭儀・神楽、膨大な祭文(さいもん・祭りのときに読む文)、占い、御幣の作り方等様々なことを習得する必要があり、独り立ちするには長年かかるそうです。
http://www.city.kami.kochi.jp/uploaded/attachment/12545.pdf
《太夫の森安様の紹介ページ》
400年以上にわたって受け継がれてきたと言われるいざなぎ流。
大夫は例えば家の祈祷をする際に、「御幣(ごへい)」というものを作ります。
この御幣とは、神様に降りてきてもらうために、依り代(よりしろ)として作られるものです。
一枚の紙から切り出され、神様ごとに作り方が違うそうで、全部合わせると100種類以上になるといいます。

家ごとにたくさんの神々がいらっしゃいます。
「御崎様・(おんざきさま・御先様とも)」は、その家の最高神で、自然霊とも、また一説には星の神とも言われるそうです。
天照大神や不動明王(高板様・こういたさまとも言われる)も祀り、真ん中に御崎様、左脇に天照大神様、右脇に不動明王という三尊をお祀りする形は、よくある形のようです。
他に死者の魂を神格化した御子神(みこがみ)様、大国様、恵比寿様、弘法大師、荒神、金神、火の神様、竈(かまど)の神様、歳徳神(としとくじん・その年の福徳を司る神)、おんたつ・めんたつ(共に水神様の家来、いたずら好きな精霊)など、一家に何十もの神々が祀ってあることも珍しくないそうです。
歳徳神や金神は陰陽道の影響が見受けられますし、お不動様やお大師様は密教や修験道の影響が、天照大神や大国様などは神道の影響が見てとれますね。
様々な神仏が一体となった信仰の形は、まさに八百万の神というような日本的な信心のあり方だなと私は感じます。
太夫は地域の人々のいろいろな願い、困りごとに対応します。
以前、BSプレミアムでいざなぎ流の特集を見たのですが、その中に太夫の祭礼・占いの場面がありました。
引っ越した方から祈祷を頼まれると、太夫はその家の神々に個別に祭文を唱えます。
祭文には、宇宙の理(ことわり)、神々の生まれ育ちや性格、祈祷文、鎮め(しずめ)の儀礼など様々なことが書いてあり、それを唱えることで、「神様のことをよく知っています」ということを伝えて、神様と心を通わせ、近づいていくわけです。
太夫が祭文を唱え、「ここに住んでよいか?」を神に問い、神の気持ちを確かめます。
どのようにして確かめるかというと、「くじ」と呼ばれる筮竹(ぜいちく)や数珠を使った占いを用います。
筮竹を使う場合は、神に質問した後、筮竹を手でパッと2つに分け、左手に残った筮竹の本数が奇数ならば「OK!」、偶数ならば「NO!」ということになるそうです。
奇数は”陽”、偶数は”陰”を表します。

「OK!」を出す神もいれば、「NO!」という神も出てきます。
「NO!」という神に対しては、「OK!」が出るまで質問を繰り返します。
Q「お祓いをして祭壇を浄めてほしいのか?」
A「NO」
Q「ではお供え物が足りないのか?」
A「NO」
Q「この家の住人がお祀りすればどうか?」
A「OK!」
といった具合に進められ、その神にはこれまでの無礼を詫びて、これからは必ず住人がお祀りしますと太夫は約束します。
太夫は占いを用いて神の言葉を聴き、また質問していきます。
占いは御託宣(ごたくせん)を得るための方法であり、筮竹などは陰陽道の影響が見られます。
占いについていえば、ほかにも米占い(ふまうらない)というお米を使った占いもあるそうです。
天使などのカードやペンジュラムなどの現代的なツールも、ご託宣を得るための方法と言えます。
いざなぎ流の神楽では、唱え事をひたすら続けて神と共にある時間を過ごし、最後に舞神楽が行われるそうで、その場に行って実際に見てみたいなあと思います(*^_^*)
取り入れられるものは何でも取り入れ、独特の信仰を形作ってきた「いざなぎ流」。
山深い自然の中で、祈りながら生きる人々の姿は、私たちに、日本人としての根っこにあるものを思い出させてくれるような気がします☆